私は声を潜めて、喉渇いたから少し出ようか、と尋ねた。いいよ、と彼は気軽に答えた。
私たちは図書館を出て、通りを挟んで大学の真向かいにある、伸びきった髪のような蔦に覆われた喫茶店に入った。
奥のソファー席で向かい合うと、篠田君があっさりマスクを外したので、それを確認してから私も外した。私はアイスティーを、彼はアイスコーヒーを頼んだ。半袖のポロシャツから出た腕は細いわりに、目立つ太い血管が数本浮き出ていた。アイスティーに垂らしたガムシロップの容器を起こすときに一滴だけ指を伝った。
「原さんの研究テーマは、福永武彦じゃないんだね。宮沢賢治とキリスト教って、たしかにあんまり書いているものを読んだことないな」
試験期間も終わって、店内は人が少ないので、声がよく響いた。
「うん、福永武彦は好きだけど、卒論でも書いたし、好きすぎて、今回はいいかなって」
私はおしぼりで指を拭いながら、言った。篠田君は笑って
「ざっくり言ったな。でも、分かる」
と相槌を打った。
「原さんは宗教詳しいから、宮沢賢治はむしろしっくりくるし」
私は主にキリスト教を扱った日本文学作品を研究している。篠田君は同じ研究室に所属している。
「あ、でも宮沢賢治は副論文で、修論は創作文芸作品で提出するんだっけ?」
彼の綺麗に尖った顎を見ながら、私は、そう、と頷いた。
私たちのいる大学院の日本文学研究科では、修士論文を小説で提出することが許されている。もっとも、その場合はもう少し枚数の短い副論文を付けなくてはならないのだが。
「副論文のほうは、『銀河鉄道の夜』の改稿も含めて、賢治の晩年の宗教観をさぐることで、最終的な物語の完成形を考察したいと思っていて」
「晩年って、でも、死ぬまで法華経信者じゃなかったっけ?」
と篠田君が突っ込んだ。
「うん。父親に改宗まで迫ったしね。でも、何度かの挫折があったとはいえ、私はずっとこの仏教とキリスト教の混ざり方が気になっていて。本来、一神教と仏教思想って相反すると思うんだよね。近年のカソリックはどちらかといえば寛容で、地域社会と協調していけるように解釈も柔らかくなっている傾向があるけど、でも、思想となると、それは、本質だから」
副論文の話になると、自然と発言量が多くなった。篠田君は腕組みすると
「賢治だと、仏教がメインで論じられることが多いから、俺も興味あるよ。だけど原さんが小説を書きたいなんて、全然、知らなかった。もしかして、これまで、どこかに応募したこともあった?」
と訊いた。私は、ううん、と答えた。
「でも、日本文学科にいたら、書いてみたことのある子は珍しくないし。篠田君だって」
彼はにこやかに笑った。彼は六月に大手出版社からの内々定が出て、このままとくに問題なければ来年就職することが決まっているが、本当は小説家志望だったと聞いたことがある。大学院一年目のときに新人賞に送って、落ちたら、きっぱり諦める、と。そして、その通りになった。