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父・藤沢周平が亡くなって23年――「普通が一番」の言葉が身に染みる日々

父・藤沢周平が亡くなって23年――「普通が一番」の言葉が身に染みる日々

遠藤 展子

『藤沢周平 遺された手帳』(遠藤 展子)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #随筆・エッセイ

『藤沢周平 遺された手帳』(遠藤 展子)


『藤沢周平 遺された手帳』(単行本)が出版された二〇一七年は私にとって特別な年でした。一月二十六日の父の命日が没後二十年、十二月二十六日の父の誕生日が生誕九十年。この本が出てから、三年近くが経ち、私の周りも随分変わりました。

 母には十一月末に出来てすぐに読んでもらいました。母が「展子、前より文章上手になったんじゃない」と褒めてくれたので、「だってお母さん、この本半分はお父さんの書いた文章だよ」と笑って話をしました。年の瀬も押し迫った十二月二十八日、母の所を訪ね、いつものように他愛のないおしゃべりをして、「お正月に浩平と三人で来るからね」と伝えると母が「わかった。ありがとね」と言うので、「じゃあ、元日にね」と手を振って別れました。けれど、その翌日、母は亡くなってしまいました。八十六歳でした。身体はどこも悪いところがなく自然死とのことでした。父が生きているときには、父を支え、亡くなってから二十年間、父と父の作品を守り、「つい、孫自慢しちゃうのよね」と孫の浩平を可愛がってくれた母には本当に感謝しています。母の半生は父と共に有り、父の没後二十年、生誕九十年を見届けて最期まで母らしくきちんとしていたと思いました。

 そして、翌年に夫の父が入院し、翌二〇一九年一月に永眠しました。義父は父のエッセイ「えらい人」(『周平独言』所収)に出てくるような人でした。父が思うえらい人は、老いた農民や子供の時から一筋に仕事をする職人のように、えらんだ仕事を大事にして黙々と生きる人。長い人生の間には、山も谷もあったはずだと書いています。父は人生の重みを感じる皺深い農民の顔が写る写真に出会い、いい顔をしていると感じたそうです。「自慢できるのは、せいぜい可愛い孫ぐらいのものかも知れない。(中略)人生を肯定的に受け入れ、それと向き合って時に妥協し、時に真向から対決しながら、その厳しさをしのいで来たから、こういういい顔が出来上がったのである。えらいということはこういうことで、そういう人間こそ、人に尊敬される立場にあるのでないかと、私は思ったりする」と父は書いています。義父は東京都水道局に勤務し定年まで勤めあげました。夫が言うにはよく働き、よく遊び、よくお酒を飲み、家族を大切にした義父でした。私の父が亡くなったときに「のんちゃん、これからは本当のお父さんと思ってよ」と慰めてくれたことは二十数年経っても忘れられません。深い皺のある顔を思い出し、義父は尊敬されるえらい人だったと心から思います。

 ただ、悲しいことだけではなく、この時期に父の原作ドラマを何本も作っていただきました。また今年、父の故郷にある鶴岡市立藤沢周平記念館は多くの方々に支えられ、無事に開館十周年を迎えることが出来ました。記念館も十年の間に、専門的な部分も蓄積されました。何よりも父の故郷に関わる機会が増えたのは良かったことです。

 そして、この本の題字を書いてくれた息子は、当時大学院生でしたが、今は会社員になりました。時々、父としぐさや性格が似ているなと思うことがあり、生きた証は自然と遺された者に続いていくのだと感じます。

 二〇二〇年は新型コロナウイルスの流行で世の中が大変な状態です。父の口癖だった「普通が一番」という言葉の意味は「家族が仲良く健康で暮らせること」ですが、今はそれが難しくなっています。一日も早く普通の生活に戻れると良いなあと今、身に染みて思います。

 最後に、いつもながらの夫と息子の協力に感謝します。そして亡き父と二人の母のおかげでこの一冊の本が出来ました。ありがとうございました。

昭和45年、展子7歳の伊豆旅行で

(「文庫版あとがき」より)

文春文庫
藤沢周平 遺された手帳
遠藤展子

定価:770円(税込)発売日:2020年09月02日

文春文庫
周平独言
藤沢周平

定価:836円(税込)発売日:2012年04月10日

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