『闇の歯車』を読みはじめて、すぐに気づくことがある。文体が違う。いつもの藤沢周平の文章とはだいぶ違っている。抑制と透明感のある文章ではなく、打ちこむような、あるいはたたみかけるような、速度のある強い語り口で小説がはじまり、その調子がずっとつづいてゆくのである。
そういう文体で、長屋の畳の上に仰向けに寝ころがった佐之助という男の、心の動きとその後の起きあがっての行動が語られる。その佐之助の行動は、ずいぶん危ういものだ。賭場にいる一石屋という金貸しが出てくるのを待って、いうことを聞かせるために匕首(あいくち)で相手の腿を刺す。佐之助の談判の中身は、ある商家に貸した金の取り立てを半年待て、ということだ。奇怪にして不思議な脅迫なのである。
それが最初の章である「誘う男」の出だしである。話の裏側に闇があり、その闇のうえに、いわばハードボイルド推理小説ふうの文体がある。
ハメットにはじまり、チャンドラーで新しい文学ともなったアメリカのハードボイルド小説という言葉を、藤沢周平の時代小説に用いるのは、あまりに安易と思われそうだな、という危惧が私にはある。しかしいっぽうで、乾いて強い文体に驚嘆したうえで、チャンドラーを想起せずにはいられないということがあって、ハードボイルドという言葉を使ってしまうのだ。藤沢周平はハメットやチャンドラーのかなり熱心な読者だったという証言もあることだし、この言葉を使うことが許されるのではないかと、自分勝手に思ったりもしている。
ただし、ハードボイルド推理小説は、大方が探偵役(主として私立探偵)の語り、あるいはその視点から書かれている。この小説では、たとえば佐之助は岡っ引のような探索者ではない。取調べを受ける側にいる、怪しげな人間のひとりなのだ。