特集

蛍日和

文: 小谷野 敦

文學界10月号

「文學界 10月号」(文藝春秋 編)

1

 なんとか二度目の結婚をして東京のここ平田山に越してくるまでは、東へ二駅の永楽町に住んでいた。駅から歩いて十五分もかからない、南側の小さなアパートで、一階で庭もあった。その前に大阪に五年いた時は、狭いマンションの五階に住んでいて、閉所恐怖症がひどくなったので、家賃が安くても狭いところは避けるようにしていたのだが、その時そこを選んだのは、もう二階以上には住みたくないと思ったからである。

 それにしても、計算してみると、永楽町にいたのは四年四か月で、平田山に来てからはもう十三年がたとうとしている。これはちょっと信じがたく、永楽町にはもっと長くいた気がするのだが、それは単に歳をとると時間の流れが速くなるからというだけではなく、その時代の私が、ある意味で波瀾万丈だったからだろう。

 永楽町に越す前、私は大阪から戻ってきて、二年ほど三鷹に住んでいた。大阪から帰ってきて、元の同僚と結婚したのだが、この女性は五歳年上で、一人娘であり、父親が結婚に反対するというより、彼女が姓を変えることに反対したらしい。らしいというのはそこがうやむやになってしまったからで、彼女は、結納が済んだあと、不安だから入籍は半年待ってほしいと言ったのだが、半年たっても籍は入れず、そのくせ四十を越してせっせと不妊治療に励んでいた。これは、入籍しないまま子供ができたらあちらの姓になるから、そのまま通してしまおうという父親の陰謀だったに違いないのである。しかも遠距離結婚で、私と彼女は東京と大阪を行き来していたが、二年半たって限界を感じた私が別れを言い出すと、彼女は修羅と化した。

 永楽町での生活は、私がちょうど四十になるころ、そんな風雲の中で始まったが、一人身に戻って、駅から歩いて行けるアパートの、外からすぐのドアのついた台所と二間の、今でも懐かしい住まいで、二〇〇二年の暮れから始まったのであった。大阪でマンションの五階の狭い部屋に住んで閉所恐怖症を悪化させたから、ぜひとも今度は庭のあるような一階に住みたいと思っていた念願がかなったのであった。ちょうど丸川学芸賞という、今日まで私がもらった唯一の賞をもらったところで、二つの大学で週二回非常勤講師をして、書く仕事もちょうどよくあって、いい時代だった。月に一度か二度は、埼玉県の実家へ帰って、母の手作り料理を楽しむのだが、父親とは調子が合わず、二泊もすると耐えられなくなって東京へ帰ってきた。

 だが一年半もすると、性的な渇きを覚えて、大久保駅前にある熟女ヘルスへ行くようになったりして、やはりちゃんともういっぺん結婚したいと思うようになり、女性編集者や大学院生に当ってみたのだが玉砕し、出会い系をやるようになり、何人かと会ったりセックスしたり、怖い思いをしたりして、二年ほどが過ぎた。

 二〇〇六年に、もうちょっとで結婚しそうになった人と別れて、これはいかんなあ、という秋を迎えたころ、母が肺がんになり、困ったことになった。築地のがんセンターで治療をさせていたころ、「ベリアル」という名前でやっているブログに、私の著書への言及があったので、コメントをつけたら、ちょっとしたやりとりが始まった。そのうち、ブログ主が若い女性で、東大の大学院生らしいということが分かった。彼女は、足のデトックスの店へ行ったら、足から泥水みたいなものが出て来た、と報告していたから、ちょっと調べたら、それは有名なインチキであることが分かったから、そうコメントしたら、「あの店へ行って文句を言うか……」などと答えていて、かわいらしい、と好感を持った。私は、このまだ見ぬ女性に軽く恋してさえいた。

 

この続きは、「文學界」10月号に全文掲載されています。

文學界 10月号

2020年10月号 / 9月7日発売
詳しくはこちら>>


 こちらもおすすめ
特集夜を昼の國(2020.09.15)
特集ジョン・フォード論 第一章-III-3 歌が歌われ、踊りが踊られるとき(2020.09.01)
特集小隊(2020.08.25)
特集隠し女小春(2020.08.18)
特集対談 円城塔×小川哲 いまディザスター小説を読む<特集 “危機”下の対話> (2020.07.28)