わたしにとっては初めての“文庫書き下ろし”となる『赤い砂』を、このたび文春文庫から梓に上す運びとなりました。これは、本編に寄せた「あとがき」から、足したり引いたりした、「もうひとつのあとがき」です。
わたしが『赤い砂』を書いたのは、デビュー前の2003年(実質的にはその前年)です。デビュー作『いつか、虹の向こうへ』(角川書店)が世に出たのが05年ですから、その2、3年前に書いた作品ということになります。それに大幅に手を加えました。
この“傑作”が世に埋もれた経緯、そしてそれが日の当たる場所に出ることとなった感動の顛末は、本編後に収めた「あとがき」に詳しく書いてありますので、そちらをお読みください(できれば本編をお読みいただいたあとで)。
さて本題です。
このweb限定版「もうひとつのあとがき」を書いたふたつめの理由は、「17~8年も前に書いた小説を今ごろ出すのは、この世情への便乗だろう」というご指摘に対する、釈明のためです。
少しだけ内容に触れますが、この『赤い砂』は「新種ウイルス」をモチーフにしています。
《2000年代初頭、新種のウイルスを原因とし、有効な治療法はなく、一度発症すると錯乱の果てに自殺行為に走る、恐るべき感染症が東京において発生した》という物語なのです。
ある意味予見的ではありますが、いわゆる「ウイルスもの」を単に時間的に早く書いていたというのでは、今さらあわてて出版する意義はありません。
この作品の中で、わたしはひとつの「縛り」を課しました。すなわち「執筆当時(2003年)に知り得た知識、存在した技術以外を織り込まない」というルールです。当時の知見、テクノロジーを越えて描かない。その後知り得たことは、どんなに入れたくても入れない――。
たとえば、今日では小学生でも知っている『PCR検査』『パンデミック』『クラスター』さらには『サイトカインストーム』『集団免疫』などなどの文言は一切出てきません。
これらの名称・単語は、実はこの『赤い砂』を執筆したころには、世の中にほとんど出回っていませんでした。当然ながらある程度の資料にあたりましたが、出会った記憶がありません。もちろん、「クラスター」などはもともと名詞として存在していましたが、ウイルス関連用語としては使われていなかったと認識しています。