つまり伊岡瞬はミステリーでなくても上手いってことだ。
物語のために登場人物を創造し、自由に生きさせる。その人生模様をどういう形で綴るか、という語りの技術で作品の巧拙が分かれる。だがそこは料理と同じである。素材、すなわち描かれる登場人物が生き生きと描けていれば、どう語ろうがその小説は良くなる。
語弊を怖れずに言うと、ミステリーのようなプロットのひねりを使わなくても、いい小説になってしまうのだ。登場人物に読むに足るだけの存在感があるのならば。
『祈り』は、まさしくそういう小説である。
今回文庫化にあたって改題されたが、本作の原題は『ひとりぼっちのあいつ』であった。「別册文藝春秋」二〇一一年十一月号から二〇一二年十一月号まで連載され、二〇一五年三月二十三日に文藝春秋から単行本として刊行された。
本作は厳密にはミステリーではなく、人生のままならなさ、本質的には孤独である人間が、他者とわかりあえず時に誤解され、あるいは自らの頑なさゆえに歩む道を間違えてしまう哀しさを描いた小説である。主人公は二人いて、物語の始まる時間もそれぞれ違う。
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