つまり、20年近くも前の知見と実態で、どこまで今日を予見し物語として完成させられるか、その点に意義があると考えたのです。ご一読いただければわかると思いますが、古臭さを感じないばかりか、最先端を予知している部分がいくつもあります。
たとえば、本作完成後、文藝春秋のベテラン編集者たちと検証した際に「この話を1年前に読んでも、意味がわからなかっただろう」という話題になりました。
そしてたとえば、この稿を書いている時点での米国大統領は、一度新型コロナウイルスに感染、発症しましたが、“最先端”の治療を施して治癒したと報じられています。その詳細は明かされていませんが、日本でも報道された「ワクチンも薬もないウイルスに対するある治療法」が、本作の太い縦糸の一本になっています。
今も当時も、医学にも疫学にも、素人同然というより素人そのもののわたしが、どうしてこんな話を書こうと思いついたのか。そして書けたのか。正直なところ謎です。俗っぽい表現でいうなら「降りてきた」としか言いようがありません。
と、このあたりまで書くと、「予見かなんだか知らないが、結局のところ『ウイルスが大流行して人類絶滅の危機に奇跡的にワクチンが見つかってめでたし』っていう話だろ」と思われてしまうかもしれません。
伊岡瞬の作品を一作でも読まれたかたならわかると思いますが、良くも悪くも、そんな予定調和の結末は用意されておりません。
さらに、実はこの作品は、上にぐだぐだと書いた医学的諸問題などは、作中に登場する専門家たちにまかせて、「そんなことはどうだっていい」と、友人のために命がけで奔走する若き刑事の、熱き物語なのです。
デビュー前だからこそ書き得た、規則逸脱型、猪突猛進刑事の暴走を楽しんでいただく物語です。
その勢いを削がないために、当時のプロット、ストーリー運びは可能な限り活かし、一方で、文体にはかなり細かいところまで手を入れました。
前後しましたが、このweb限定版「もうひとつのあとがき」を書いた、ひとつめの理由は、もちろん販促活動です。若き伊岡瞬の勢いと現在のわたしの文体のコラボ作品を、一人でも多くの方にご堪能いただきたい。それが願いです。
本編のあとに、もう一度お目にかかれることを楽しみにいたしております。