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賞金2億円。VRの国際大会「ビヨンド」の存在を知った寮生たちは……

賞金2億円。VRの国際大会「ビヨンド」の存在を知った寮生たちは……

藤井 太洋

電子版35号

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #小説

「別冊文藝春秋 電子版35号」(文藝春秋 編)

 ビヨンドチャレンジに出るなら、手伝う。

 そう言って、丸い銀縁メガネのブリッジを眉間に押し当てた坊主頭の呉は、テーブルに参考書とノートを置いて、マモルたちの正面に回り込んだ。

 寒くもないのに綿入れを羽織っている。マモルは、綿入れから伸びる呉の腕に、ろくに筋肉がついていないことに初めて気が付いた。去年から、朝礼の腕立て伏せを手抜きしていたのだろう。

 呉について知っていることは多くない。

 坊主頭を、二年生の時に部屋で見つけたバリカンを使って自分で刈っていること。他には、日本と中国の二重国籍者だということと、鹿児島市内に住んでいる姉が美人だということ、友人らしい友人はいないということぐらいだろう。

 だが、三年生であることに変わりはない。

 呉が椅子に手をかけた瞬間、マモルは一度立ち上がって、椅子の向きを直してから腰掛ける。もちろん椅子の脚で床を鳴らすことはしない。

 ついさっきまで、脚を投げ出して座っていたユウキも、190センチメートル85キログラムという巨体を感じさせない素早さで立ち上がった。

 わずかに遅れて、安永も動いた。彼は座面の下に手を差し込んで、座ったままで向きを変えようとする。入寮してまだ二週間の一年生が、反射的に動けないのは仕方がない。だが、座ったままはまずい。

「立って。椅子が鳴るよ」

「あ」と安永が答えた時には遅かった。鉄製の脚が床に当たる。

 ユウキが叱責する。

「注意が足りんど」

「はいっ!」

 気をつけの姿勢で大声をあげた安永に、呉は顔をしかめた。

「そういうの、僕の前ではいらないから」

「わかりました」

 割り込んだマモルは、再び「はいっ!」と答えそうな安永に先回りして言った。

「安永くん、これから呉先輩の話を聞くから黙ってて」

 呉は、一年生の入寮日から朝礼をサボるほど寮の縦社会を嫌っているし、ヴァーチャコンの存在意義にも疑問を投げかけるような非・主流派だ。ここが呉の部屋なら、彼が望むフランクな対話をしても構わないだろうし、彼の意見に同意できるところがあれば、頷いてもいいだろう。

 だが、ここは誰もが出入りする食堂だ。三年生を軽んじるような振る舞いはもちろん、寮生の多くが自由時間の全てを注ぎ込んで取り組んでいるヴァーチャコンを貶めていると思われてしまえば、どこで何を言われるかわからない。

 三年生ならどんなことを口にしてもいい。二年生も、肩身が狭いぐらいで済むだろう。だが一年生が、寮のしきたりや伝統に挑戦的な態度をとっているかのように見られてしまうのはまずい。

 特に安永には、その危険を冒して欲しくなかった。

 彼は大臣までやった衆議院議員のひとり息子で、シンガポールからやってきた帰国子女なのだ。このレッテルだけでも何かちょっかいを出してみよう、と思わせるのには十分だ。入寮してからの二週間だけでも、部屋長の塙がいない隙を狙って来室する三年生は後を絶たなかった。

別冊文藝春秋からうまれた本

別冊文藝春秋 電子版35号(2021年1月号)
文藝春秋・編

発売日:2020年12月18日

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