何度目のインタビューの時だったろう。さらりと発せられた言葉にどきりとした。
「僕たちが生きているひどい世の中で――」
別に悲観的な話題ではなかった。「ひどい」という形容詞がなくても通じる文脈だった。ああ、この人のなかでは、今のこの世の中が「ひどい」ものだというのは大前提なのだな、と思った。この人とは、作家、白石一文氏のことである。
かといって白石氏が生み出す小説は、世の中に対して絶望している内容ではない。醜いことも理不尽なことも描かれるが、そんな世界で生きていくことを拒絶はしていない。本作もそうだ。
初期作品が収録されているこの短篇集『草にすわる』は、二〇〇三年八月に単行本として光文社から刊行され、二〇〇六年に光文社文庫に収録される際、瀧口明名義の「花束」が加わった。さらに今回の文庫化では単行本未収録だった瀧口明名義の「大切な人へ」と、「七月の真っ青な空に」が加わっている。ちなみに瀧口明とは、著者が以前使用していたペンネームである。
以前使用していたペンネームとはなんぞや、と思われる方もいるはずなので、執筆に関する経歴を駆け足で説明しておく。学生時代から小説の投稿を始め、卒業後は文藝春秋に入社。「週刊文春」や「諸君!」「文學界」等々の編集に携わるなか、一九九二年に瀧口明名義ですばる文学賞に応募した「惑う朝」が佳作入選。「すばる」に短篇が数本掲載されたものの長篇執筆の話が流れ、一人でコツコツと書く時期がしばらく続く。その後、『一瞬の光』の原型となる原稿を別の出版社に持ち込むが刊行を断られ、同じ頃パニック障害となり七か月休職。資料室に復職し、同僚の紹介で原稿を角川書店(現・KADOKAWA)の編集者に見せたところ出版が決定。『一瞬の光』は白石一文名義で二〇〇〇年に刊行され話題となった。三年後、『草にすわる』の表題作を雑誌に掲載したのち退職、専業作家になった。
というわけで、本書に収録されている短篇は執筆した時期もさまざまである。
「草にすわる」は二〇〇三年執筆。諸般の事情で経済的に苦しく、はじめて金のために書いた小説だったという。金銭面でも仕事面でも先の見えない主人公の状況は、著者自身に通じるものがあるのだろう。
「花束」は一九九四年に瀧口明名義で刊行された『第二の世界』収録作。一九九三年の執筆だという。月刊誌「文藝春秋」で政財界に取材していた経験が多分に活かされている話だといえる。
「砂の城」は一九九四年頃に執筆。三十代半ばにして六十代のベテラン作家を主人公に選んだというのが面白い。ただ主人公は功名心や嫉妬心も持ち合わせていてどうにも人間的に小さく、地位や名声や才能と人間的成熟はまた別ものだと思わせる。逆にいえば、人間の成熟に地位も名声も才能も関係ない、とも感じさせる話だ。
「大切な人へ」は一九九六年に瀧口明名義で「すばる」十一月号に掲載された掌編。
「七月の真っ青な空に」は二〇一二年に文庫オリジナルとして刊行されたアンソロジー『最後の恋 MEN'S』(新潮文庫)に収録されたもの。猫が重要な役割を果たしているが、白石氏自身も大の猫好きで、複数の猫を飼っている。
主人公たちは決して、聖人君子ではない。「草にすわる」の青年や「花束」の記者、「砂の城」の作家たちはみな鼻につく部分もある。そんな彼らが気づきを得ていく物語でもあるのだ。「七月の真っ青な空に」は女性が主人公で、出会いと再生の物語となっている。「大切な人へ」は悔恨の物語ともいえるが、のちに氏の作品で重要なモチーフとなる「運命の相手は誰か」「誰と生きるのか」という問いが垣間見える。
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