作中では、取り返しのつかない悲しい出来事も、苦しい状況も、ひどい場面も描かれる。そのなかで浮かび上がってくるのは、「どのように生きていくか」というテーマだ。時に身勝手で、醜い部分も持ち合わせ、時に深く絶望している人間たちが、ふと自分を見つめ直し、人生に面白さを見出していく。かといって「世の中は生きるに値する良いものだ」と全肯定させたりはしない。「この世の中にはひどく、理不尽な現実もあるけれども、そのなかでいかに個人としてよりよく生きていくか」ということが、繰り返し語られている。たとえ厭世的であっても、それでもどう生きていけるか、可能性を探っていくのである。ある時の取材では、白石氏はこう言っていた。
「僕は“殺したい奴ほど愛せ”と思うようにしている」
それを聞いた瞬間、いやいや無理無理、誰かを殺したいと思ったことはないけれども、嫌いな相手を愛するなんて無理! と思った。でもそれからというもの、「この人苦手だな」と感じるたびにその言葉が脳裏をよぎるようになった。なぜ拒否感を抱くのか、相手との関係性を考慮しつつ、その感情の理由を言語化し、どう折り合いをつけるか考えるようになったのだ。とはいえ自分のなかの批判的精神は否定できないし、私にとって苦手な相手を愛することはまだまだ難しい。そうした点から考えてみると、確かに白石作品は主人公と敵対する人物が登場することがあっても憎しみが主題になることはない。むしろ孤独な他者同士がどのように共存していくかに重点が置かれているではないか。ちなみに、実際の白石氏は、他者に興味津々という印象だ。はじめてインタビューした時は一時間の予定が四時間もかかった。というのも、本来こちらが話を聞く立場なのに、質問攻めにされたのである。これは私だけでない。他のインタビュアーたちからも同様の話をよく聞いた。さらに、氏はとびきりの世話好きだ。これも個人的な話になるが、我が家の猫が病気になった時は、心配して獣医を紹介してくれただけでなく、何度も夫妻で車で迎えに来てその獣医まで連れていってくれた。その猫が旅立ち荼毘に付す際も夫妻で付き添ってくれ、しかも一周忌の日に花まで贈ってくれたのである。命日を忘れずにいてくれた上での心遣いに驚き、感激した。
このひどい世の中で、社会とどう向き合い、どう生きるか。それを追求して氏は本作以降も、この社会や世界、人間の仕組みへの考察を深めていく。不可思議な現象が起きる小説も増えるが、それらも世界の仕組みの一部として掘り下げられている。時に哲学的で時にエンタメ性たっぷり。ご本人いわく自分の小説には「小難しい部門」と「面白い部門」があって、前者に属するのが『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』や『神秘』、『記憶の渚にて』、後者は『私という運命について』や『ほかならぬ人へ』、『心に龍をちりばめて』『彼が通る不思議なコースを私も』、『一億円のさようなら』など(『一億円のさようなら』刊行時のインタビューにて)。とはいえどちらも、「個人がどう生きるか」を考えさせるものであると同時に、予想もつかない展開で引き込む力は同じだ。また、『ほかならぬ人へ』『翼』や『火口のふたり』『快挙』など、男女の縁や運命を扱う印象も強く、自分が岩崎書店の〈恋の絵本〉というシリーズの監修を務めた際、白石氏にそのなかの一冊の執筆をお願いした。ちょっと哲学的な内容になるかもしれないな……と思っていたら、出来上がってきたのがこれまた予想外のお話で、北澤平祐氏のファンタスティックなイラストとの絶妙なコラボレーションにより、非常に愛くるしい絵本になった。ただ、不合理な気持ちと向き合い、未来に目を向ける少女の話となっている点が非常に白石作品らしい。変化球での依頼でも期待以上の作品を生み出してくれる書き手として、頼もしく思っている。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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