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昭和史最良の語り部、半藤一利さんの遺した「人生の愉しみ方」

昭和史最良の語り部、半藤一利さんの遺した「人生の愉しみ方」

半藤 一利

『歴史探偵 忘れ残りの記』(半藤 一利)

出典 : #文春新書
ジャンル : #随筆・エッセイ

『歴史探偵 忘れ残りの記』(半藤 一利)

まえがきに代えて――生涯読書のすすめ

 世界最高の史書は何か? と問われたら、司馬遷の『史記』と答えることを常としている。とくに「遊侠列伝」と「刺客列伝」はピリリと辛い人物たちがつぎつぎに登場してきて、いつ読んでもじつに楽しい。

 先日もその「項羽本紀」を読むともなしにパラパラしていたら、項羽の少年時代の、あまりにも豪快なセリフにゆき当って、思わずギョッとなった。

「書ハ以テ名姓ヲ記スニ足ルノミ」

 中国では、古くから学問のことを読書といった。少年項羽は、要するに、苗字が書ければ十分、学問などほとんど必要がない、といい放ったのである。

 それはまあ、劉邦と天下争覇を戦いつづけた豪勇無双の項羽のこと、幼いころはそんな不敵なことを考えたこともあるのであろう。が、「力は山を抜き」とか、「虞や、虞や、汝をいかんせん」とかの、後世にも残る名言の詩をよんだ男のこと、やっぱり長じては猛勉強、つまりあまたの本を読んだにちがいないのである。

 ところが、その数日後のことである。こんどはうんと時代が下がる宋の時代の詩人蘇東坡の「石蒼舒の酔墨堂」という詩で、同じ意の詩句を発見したのである。これには、もう一度、ウヘェーと腰の蝶番が外れるほどびっくりさせられた。

「人生、字を識るは、憂患の始め、
 姓名、粗ぼ記さば、以て休む可し」

 訳せば《いいかい、下手な学問をすることは憂患の始めであって、文字なんてものは、せいぜい自分の姓名を書ければそれで十分。つまらぬことに苦労するに及ばんよ》ということか。

 ところが、さらにその数日後、偶然とはいえ夏目漱石の最晩年の漢詩に行き当ったではないか。

「人間五十今過半 愧為読書誤一生」

 瞬間、「漱石先生よ、お前さんもか」と思わず叫んでしまった。項羽や蘇東坡と同じく、読書は下らぬと先生もいっているのかいな、と思ったからである。「人間五十、いま半ばを過ぐ。愧ずらくは、読書のため、一生を誤るを」と読んだゆえに、どうしても解釈はそこにゆきつく。

文春新書
歴史探偵 忘れ残りの記
半藤一利

定価:935円(税込)発売日:2021年02月19日

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