ある一日
いつもと同じ朝。ベッドから出てタバコを一服吸う。朝食は、トーストとコーヒーで軽く済ませ、急いで仕度をして駅に向かう。
満員電車に小一時間揺られながら、暇つぶしでスマートフォンのゲームをする。ゲームをするようになってから、新聞や本を読むことがめっきり減った。
会社に着くと、いつものように山ほどの仕事が待っている。午前中だけで、何杯もコーヒーを飲み、喫煙所でタバコを吸う。昼食は、コンビニのおにぎりで済ませ、タバコを吸ってから仕事に戻る。
今日は金曜日なので、早目に仕事を切り上げて同僚と飲み屋に行く。なじみの居酒屋でビールとチューハイを量を忘れるくらい飲んだ後、もう一軒はしごしてから、ラーメンで締める。これがお決まりの金曜日の夜のパターンだ。そして、土曜日はいつも二日酔い。
こんな平凡な生活のなかに、依存症の落とし穴がたくさん開いている。依存症と聞くと、すぐに思い浮かべるのは、アルコール依存症や薬物依存症だろう。そして、ほとんどの人は「自分は酒はほどほどにしか飲まないし、薬物なんて絶対に使用しない。だから依存症などとは無縁だ」と思うかもしれない。
多くの人の依存症へのイメージは、ヘベレケになって手が震えているアルコール依存症者や、幻覚妄想状態になって意味不明のことをつぶやいたり、「ヤクをくれ!」などと叫んだりしている薬物依存症者の姿ではないだろうか。
しかし、これは極度にカリカチュア化された依存症者の姿であり、正直こんな人たちはほぼテレビのなかにしか存在しない。依存症者はそれよりはるかに多様であるし、そのハードルは意外と低い。また、それは一種のグラデーションのように連なっており、今は安全であってもいつしかその深みにはまることがあるかもしれない。
それだけではない。先ほどの平凡なサラリーマンの一日を見ると、喫煙、コーヒー(カフェイン)、炭水化物(糖質)、スマホゲーム、仕事、さらには、SNS、パチンコ、買い物、セックスなど、われわれの身の周りは、依存症のリスクであふれている。
依存症はわが国で最も多い病気
実は、わが国で最も多い病気の一つが依存症である。たとえば、喫煙人口は着実に減っているとはいっても、まだ一八〇〇万人を超えている。三〇代、四〇代の男性のおよそ三分の一は喫煙者である。
アルコール依存症は、推計によれば一〇九万人とされている。また、その予備軍を含めると二五〇〇万人ほどだという。ギャンブル依存症が疑われる人は、国民の三・六%と見積もられており、これは先進国中最多である。数にすると、三〇〇万人を超えている。中高生のインターネット依存は九三万人という調査結果が出ており、これは五年間でほぼ倍増している。
もちろん重複している人もたくさんいるが(タバコも吸うし、大量の酒も飲むなど)、これらの数字を単純に合計するとこれだけで約五〇〇〇万人となる。
さらに、「仕事中毒」などと言われるように、過度に仕事に依存している人も相当数いるだろう。糖にも強力な依存性があるため、ダイエットしようとしても、炭水化物(米、麺類、パン)や甘いものをやめられない人は、糖への依存症である可能性が大きい。これらの食物はわれわれの「主食」であり、あまりにも日常的なものであるがゆえに、統計があるわけではないが、炭水化物や糖に依存している人は、何千万人もいるだろう。
犯罪としての依存症も見てみよう。日本は世界的に見ても薬物使用人口が非常に少ないが、それでも毎年一万数千人ほどが覚醒剤取締法違反で検挙されている。再犯率は三〇%ほどだと言われており、あらゆる罪種のなかで窃盗(約三四%)に次いで二番目に高い。
一番再犯率が高い窃盗を繰り返す人のなかには、クレプトマニアと呼ばれる窃盗癖の人が一定数いる。これも依存症であるととらえることができる。
また、痴漢や盗撮も再犯率が高い犯罪である。これらの性犯罪を繰り返す人の多数も、性的依存症であると考えられる。警察庁の統計を見ると、痴漢と盗撮で毎年それぞれ三〇〇〇人ほどの人々が検挙されている。検挙されるのはもちろん、氷山の一角であるので、実際に痴漢や盗撮行為を行っている者が何万人もいておかしくない。
このように、犯罪であるかないか、健康や生活に及ぼす害の大きさなど、さまざまな違いはあるにしても、依存症やその予備軍は「国民病」あるいは「現代病」と言っていいほど、現代の日本社会に蔓延していると言っても過言ではないだろう。
人はなぜ依存症になるのか
人はなぜ、このように依存症になってしまうのだろうか。それは、人間というものは、依存症になりやすくできているからである。より正確に言えば、進化の過程で、依存症になりやすい遺伝的基盤を持っている人が生き残ってきたからである。
それをまず、二つのキーワードで解明したい。一つ目のキーワードは、「快」である。
人の生き残り戦略として、「快」の追求はとても重要なものである。たとえば、原始時代、エネルギーの豊富な炭水化物を多く摂取する人、たくさんセックスをして子孫を残した人は、当然のことながらその遺伝子を多く残すことができただろう。食が細く炭水化物を好まない人やセックスを好まない人は、遺伝子を残すことができずに滅びていったのだろう。
「炭水化物やセックスが嫌いな人なんているの?」「そんな人見たこともない」と思われるかもしれないが、それは当たり前である。そのような傾向を持った人は、進化の過程で淘汰されたので、身の回りにはあまりいないからだ。
次の章で詳しく述べるが、われわれの脳の中には、「快」に対して敏感に反応する回路、「快感回路」がある。つまり、「快」のための装置が生まれつき脳に備わっているということだ。
これは何も悪いことではない。われわれは、この装置のおかげで、さまざまなことから「快」と喜びを得て、快活で豊かな人生を送り、種としても繁栄することができるのだ。
しかし、ときにその装置が暴走して、「快」のためには、日常生活や人生などどうでもよいという状態にまでなってしまう。つまり、人間の生き残りを目的とした戦略としての「快」であったはずが、「快」そのものが目的化してしまうのだ。これが依存症である。
しかも、原始時代とは違って「快」をもたらす刺激にあふれている現代では、依存症の落とし穴はそこかしこに潜んでいて、過剰な「快」がそれに伴う「害」をもたらすようになってしまっている。
人間の生物学的な変化はゆっくりであっても、社会や環境の変化は、ここ数十年の間で急激に進んだ。手作りでビールやワインを醸造していた時代と違って、今は大工場で生産された膨大な量のアルコールが世界中に供給されている。不思議な作用を持つ野生の植物を儀式で使用していた昔とは違って、化学的に合成された強力な依存性のある薬物がインターネットで簡単に手に入る。
飽食の時代と言われ、食品ロスが問題となっている現代は、炭水化物が貴重であった時代とはまったく違う。人口爆発の時代を経て、今や性的パートナーを見つけることは原始の時代ほど難しくはないだろう。さらに、性が商品となり、繁華街やネット上には性風俗店や「出会い系サイト」など性的機会があふれている。
このように、「快」を追求するように生まれついた人々の子孫であるわれわれにとって、「快」を与える刺激が過剰なほどに提供される現代は、よほど気をつけていないと誰でも依存症になってしまう社会なのだと言える。
依存症を理解するキーワード「不安」
もう一つ、依存症を読み解くキーワードに「不安」がある。
再び原始時代に遡ると、太古の人々は現代とは比べものにならないくらい、多くの脅威に裸で晒されていた。それは、自然災害、病、飢餓、捕食動物、他の部族からの攻撃などである。もちろん、現代人もこうした脅威に対して万全というわけではないが、さまざまなセーフティネットが張り巡らされていることはたしかである。
太古の時代、これらの脅威に無防備であった人々は、どのようにして自らを守り、生き延びて子孫を残してきたのだろうか。そのために一番有力な「武器」となったものは何だろうか。屈強な身体だろうか。それとも勇敢な闘争心だろうか。
答えはノーである。もちろん、この二つともサバイバルのためには役立つ「武器」であったことは間違いない。しかし、最も有力な「武器」はほかにある。それが「不安」である。
なぜ「不安」のような、頼りなく弱々しいものが「武器」になるのだろうか。屈強な身体も勇敢な闘争心も重要だが、それだけで猛威を振るう災害や、獰猛な大型動物にかなうわけがない。むしろ、逃げるのが生き残り戦略としては一番だ。
嵐が近づいているようなときに狩りに行く人、猛獣に素手で立ち向かう人、彼らを勇敢とは呼ばない。無謀と呼ぶのが正しい。
生き残るためには、脅威を敏感に感じ取り、不安を抱いて、そこから逃げたり、被害を最小に抑えるための予防策を講じたりすることが一番適切な対処である。彼らを臆病とは呼ばない。賢明と呼ぶのが正しい。進化の過程で、不安に鈍感な人々は淘汰され、敏感に不安を感じ取る人々が生き残ってきた。不安は脅威が迫っていることを知らせるサインとなり、生き残るための賢明な対処を取るようにわれわれを動機づける役目を果たす。
現代人が産み出したさまざまな発明は、ほとんどすべて不安に対処するためのものといっても過言ではない。幾多の科学技術はもちろんのこと、社会の制度や仕組みに至るまで、あらゆるものがわれわれを脅威から守り、不安を鎮めるためにある。
とはいえ、誰もがいつも賢明な対処を取るとは限らない。脅威に晒され、不安が高じたときに、われわれは心理的な余裕がなくなり、ときに非合理的な対処をすることもある。
たとえば、慢性的な不安に苛まれている人は、心身ともに弱ってしまい、手っ取り早くアルコールで気持ちを紛らわせようとするかもしれない。アルコールは一時的に不安な気持ちを紛らわせ、眠りへと導いてくれる。
何かに急き立てられるように働いて、「仕事中毒」のような人は、仕事を失うことや自分の価値が見出せないことに対する不安がその根本にあるのかもしれない。それから逃れるために、がむしゃらに働くことで、不安を一時的に紛らわせようとしているのだろう。
不安症やうつ病は、現代人の代表的な病である。われわれは、不安傾向の強い人々の子孫なのだから、これはある程度は仕方ないことである。しかし、これだけの科学技術をもってしても、自然の脅威はなくならないどころか、むしろ気候変動や環境破壊を引き起こし、それは破滅へと向かっているようにすら感じられる。
これだけ医療が進歩しても、病気を克服できるどころか、耐性菌の出現を招いているし、世界はあっという間に未知の病のパンデミックに襲われてしまった。そもそも不老不死などは叶うはずがない。
人口が増え、社会の仕組みが複雑になるにしたがって、かつては想像もできなかった新しい不安の種が増えたようである。それに呼応するかのように、新しい種類の依存症も増えている。
つまり、現代人の不安を鎮めるための対処の一つとして、さまざまなものに依存する人が増えているということだ。依存症とは、不安から逃れられない人間が、その不安を紛らわせるための病なのである。
先に、依存症は「快」と関連することを述べた。ここで「不安」という正反対にも思えるキーワードを持ち出したことは、一見矛盾するように思えるかもしれないが、そうではない。「不安」の回避は、「快」につながるからだ。それは積極的な快感を求めるのとは違うが、ネガティブなものを回避することによる「快」である。前者がいわば「足し算の快」であれば、後者は「引き算の快」である。
つまり、「不安」というキーワードも、実はもう一つのキーワードである「快」と重なっている。したがって、やはり依存症は「快」と複雑に関連する事象だと言えるだろう。
依存症の嘘と真実
残念なことに、現代は依存症に関する間違った知識や誤解にあふれている。これでは、正しく賢く依存症に対処することはできない。
代表的な「依存症の嘘」には以下のようなものがある。
1 依存症は病気である
2 ほとんどの人は適正な飲酒をしている
3 低ニコチンや低タールの軽いタバコや新型タバコは害が少ない
4 違法薬物を使うと誰でも依存症になる
5 カジノができると、ギャンブル依存症の増加が懸念される
6 若者がゲームにはまっていても、そのうちに飽きるから放っておいてよい
7 肥満は自己責任である
8 厳罰化は、性犯罪の抑制に効果がある
9 薬物使用で刑務所に入るのは当たり前のことである
10 依存症の克服はつらくて厳しい闘いである
本書では、こうした誤りを正し、その真実について具体的な事例や科学的エビデンスを基に説明する。それによって、「依存症の真実」を多くの方々に理解していただくことを目的としている。
これまで説明してきたように、依存症とはきわめて「人間的な病」であり、人間が進化の過程で有利に生き残るために必要不可欠だった能力や性質と密接に結び付いた病である。
だとすると、われわれは誰にでも依存症になる可能性はあるし、もうすでになっているかもしれない。「依存症の真実」を知り、それに対抗する術を知ることは、何より自分自身のためになるはずだ。
(「序章 依存症――この人間的な病」より)
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