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文芸批評の神様「小林秀雄」が残した政治・戦争への深い考察

文芸批評の神様「小林秀雄」が残した政治・戦争への深い考察

中野 剛志

『小林秀雄の政治学』(中野 剛志)

出典 : #文春新書
ジャンル : #政治・経済・ビジネス

『小林秀雄の政治学』(中野 剛志)

 昭和十八年の「実朝」から終戦までの期間、小林は沈黙したと言われている。しかし、昭和二十一年に発表された「モオツァルト」の第一稿は、昭和十八年末から翌十九年六月に至る中国旅行中に書き始められていたという。その「モオツァルト」について、小林は、「ぼくがあれでいちばん書きたかったことは自由という問題だった」とはっきり言っている(「人間の進歩について」〔昭和二十三年〕、別巻I、P162)。戦争末期から終戦後の占領期にかけて、つまり最も不自由な時代に、小林は「自由」について考え続けていたということだ。

 言うまでもなく、「自由」は、政治学における最重要概念の一つである。ということは、小林の代表作の一つとして名高い「モオツァルト」は、彼の政治学としても解釈できるということになろう。

 さらに、「モオツァルト」以降の戦後二十年間の随筆の中から、政治、政治家、イデオロギー、民主主義、自由、戦争、国家、歴史について言及があるものを拾ってみると、おおよそ次の通りとなる。

 昭和二十三年:「私の人生観」(講演)

 昭和二十四年:「私の人生観」「吉田満の『戦艦大和の最期』」「知識階級について」

 昭和二十五年:「『きけわだつみのこゑ』」「蘇我馬子の墓」「信仰について」

 昭和二十六年:「感想」(読売新聞)「感想」(初出不明)「政治と文学」「感想」(大阪新聞)「悲劇について」

 昭和二十七年:「中庸」

 昭和二十九年:「自由」

 昭和三十年:「常識」「教育」「理想」「民主主義教育」

 昭和三十一年:「吉田茂」

 昭和三十二年:「感想」

 昭和三十四年:「常識」「プラトンの『国家』」「読者」「漫画」「良心」「歴史」

 昭和三十五年:「或る教師の手記」「ヒットラアと悪魔」「『プルターク英雄伝』」

 昭和三十七年:「福沢諭吉」「天といふ言葉」

 昭和三十八年:「ソヴェトの旅」(講演)

 昭和三十九年:「ソヴェトの旅」「常識について」


 小林の随筆と言えば、文学以外にも絵画、音楽、骨董などのテーマがよく知られているが、このように見てみると、政治に関係するものも意外と多いことが分かる。とりわけ、昭和三十四年と三十五年にピークがあるのが目を引く。

 昭和三十四年から三十五年と言えば、安保闘争が起き、岸信介首相が退陣を余儀なくされるなど、政治は大きく動揺していた頃である。そういう時期に、民主主義、自由、政治家、国家、歴史といった政治的課題について書いた随筆が集中している。我々は、このことにもっと注意を払うべきである。

 また、この頃の小林は、ソクラテス、プラトン、ペリクレスなど、古代ギリシャの政治哲学者や政治家にしばしば言及している。これは、小林が、民主主義が声高に叫ばれるようになった戦後の騒がしい世情の中で、民主政治の本質について思索を深めるために古典に帰ったのであろうことを示唆している。

 加えて、昭和三十四年から三十九年まで「文藝春秋」に「考へるヒント」として連載された随筆には、伊藤仁斎や荻生徂徠について書かれたものが少なからずある。それらはいずれも、後の大作「本居宣長」へとつながる重要な作品であるが、そもそも儒学とは政治学なのだから、これらもまた、政治に関する考察だと言ってよい。

 このように、小林は、「政治といふものは虫が好かない」と言っていたわりには、政治について多くを書いていた。彼は、決して政治から目を背けていたわけではなかった。むしろ、政治というものを、よく見ていたのである。

文春新書
小林秀雄の政治学
中野剛志

定価:1,045円(税込)発売日:2021年03月18日

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