絶景と言うほどでもないので、気がつくと意識がよそに飛び、ミステリのことを考えていた。昨今、人気を博している〈特殊設定ミステリ〉と呼ばれるものについて。
現実世界にはないモノやコトを取り入れつつ、あくまでも作中世界の物理法則やルールに則って論理的に事件が解決されるミステリのことで、多くの読者を獲得しているのは優れた作品が次々に発表されているからだ。おそらくミステリファンの幅を広げることにも寄与しているだろう。
SFやファンタジーとミステリの興趣を合体させた作品は従来から書かれてきたが、この頃はやりの作品の特殊設定は千差万別で、超能力やタイムマシンが存在したり幽霊や吸血鬼が実在したりという次元に留まらない。作中で極めて特殊な法則で時間が流れていたり、生死の境が無効になっていたりで、奇想の博覧会の様相すらある。そんな設定を巧みに利用して謎解きが行なわれるから、読者は新鮮な驚きが得られるわけだ。
私は、〈ミステリはこの世にあるものだけで書かれたファンタジー〉と捉えている者で、特殊設定ミステリは好みの中心から外れてはいるが、よくこんなことを考えつくものだ、と感嘆しながら楽しんでいる。
SFやファンタジーとミステリを合体させたというよりも、ゲームとミステリを掛け合わせる感覚で書かれるのかもしれない。採用されるのは一度限りのルールで、「どうしてそんな法則が発動するのか?」「何故そんなものが存在するのか?」の説明はないのが普通であり、読者もそれは所与の前提として問うことはないし、作中人物はそんな世界に生まれ落ちたことも多く、「なんでこんなことに」とくよくよ悩んだりもしない。
純粋なゲーム空間の中で、いちいち悩まれても鬱陶しいだろう。特殊な状況を通して小説として思弁的なテーマを織り込んだ作例は知っているが、私が読んだ範囲では、「この世界の意味は何だ?」「どうしたらこのルールを破壊できるのか?」と作中人物が奮闘するものは思い出せず、誰もがゲーム空間を受け容れていた。本格ミステリらしい潔さであるが――
ふと思う。特殊設定ミステリが歓迎されているのは、作中の世界がどこまで特殊であろうと、むしろ突拍子もないものであればあるほど、作者が懇切丁寧にルールを説明してくれるからではないか。説明に遺漏があったら大変だ。読者から「ソレができないのにアレはできるのか。恣意的だな。作者がやりたい放題ではないか」とクレームがつくのは必至である。よって作者は曖昧さを排し、隅々まで見通せるように物語世界を描かなくてはならない。
翻って現実世界はどうか。社会は複雑さを増し、科学技術は進歩するほどにブラックボックス化が進んで、私たちの見通しは悪くなるばかり。世界的に格差の拡大や固定化が問題となって、近年の日本では上級国民・下級国民という嫌な言葉も生まれた。どの階層に属しているかで法律を破った時の処遇も変わるとなれば、ルールなどあったものではない。こんな世界こそ、理解困難な特殊設定でできていると言えるのではないか。
そこへもってきて、今度のコロナ禍だ。中国・武漢で発生した新型コロナウイルスは未知のもので、治療法やワクチンが開発されていないどころか、まだその全容が明らかになっていない。さらにいつどこでどんな変異を遂げるかも判らず、さながらジョーカーのごとき存在となって、人類が営々と築いてきた社会を毀損し続けている。呪わしいウイルスは、その設定が不明。
特殊設定ミステリが歓迎されている理由は、現実世界が特殊設定化していることも一因に思える。こんな世界より、いかに歪であっても確たるルールが確立した物語世界の方が受容しやすく、安らげるかもしれない。
などと雑考しているうちに電車は左に大きくカーブして学研都市線に乗り入れたかと思うと、京橋駅の手前で再び元貨物線の新線に進入して頭を北西に転じる。淀川を渡り、新幹線の高架橋をくぐり抜け、新大阪駅に着いた。
この続きは、「別冊文藝春秋」5月号に掲載されています。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。