- 2021.04.16
- 書評
「宗教とは何か」という大きな問いに向き合う長い旅
文:三浦 天紗子 (ライター・ブックカウンセラー)
『神のふたつの貌』(貫井 徳郎)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
イヤミスはいまや女性作家が得意とするフィールドという印象だが、天童荒太『孤独の歌声』や『家族狩り』、貴志祐介の『黒い家』や『悪の教典』など男性作家の書いた傑作も多い。後味の悪さで言えば、貫井徳郎もまた天下一品。惨殺事件の被害者一家となった家族の知られざる顔が浮き彫りになる『愚行録』、悪意のないエゴイズムが残酷な結末へ結びつく『乱反射』、エリート銀行員が妻子を殺害した真相へ小説家が肉薄していく『微笑む人』など、読み終わった後も真相の衝撃を引きずるような苦いミステリが得意だ。
殺人などわかりやすい悪の背景には、無自覚な偏見、ちょっとした悪意や不道徳、歪んだ正義感などが取りかえしのつかない状況へと結びつくことがあるものだ。そこを腑分けし、同時に、読者に重い問いを突きつけてくるのも貫井ミステリらしさだろう。実際の事件でも、起きた出来事を非難するのはたやすい。犯罪者心理は、陰惨な事件において十分に解読されることなく、“心の闇”と単純化して語られやすい。人として、犯罪行為を糾弾するのは当然としても、犯行に至るやむにやまれなさを無視せず想像することも必要ではないかと、彼は物語を通して訴えてくる。悪人の犯意よりも、善人の中に潜む邪心を浮かび上がらせて、人間の空恐ろしさを描き出す。それが貫井徳郎という作家である。
作中で扱う犯罪についても、彼は連続殺人や誘拐などミステリの王道に加え、社会変化がもたらす新手の悪を積極的に物語に取り込んでいく。『転生』で描かれたのは臓器移植の是非だ。発表当時、日本では始まったばかりの先鋭的な題材だったはず。『私に似た人』では、テロの日常化を〈小口テロ〉と呼んで描き、現代の不穏さの行き着く先を彷彿とさせた。よく調べ、消化して書く人でもある。冒頭で書いたとおり、彼はイヤミスの名手と呼ばれることもあるが、私はもっと学者肌な書き手ではないのかと思っている。
そんな彼が強くこだわっているように見えるのが、宗教や信仰というテーマである。
ご存じのように、デビュー作『慟哭』では新興宗教がモチーフとして使われた。喪失感から怪しげな新興宗教に救いを求めていく〈彼〉の物語と、幼女連続失踪事件を追うキャリア組の変わり者〈佐伯〉捜査一課長や、警視庁捜査一課所属の丘本警部補らの捜査の行方。奇数章偶数章で振り分けられたふたつのストーリーが異なる視点で語られ、緊張感を増していくその果てに、別々だと思われていた物語が交錯。驚くべき真相にたどり着く。犯人が理解しがたいある儀式にのめり込むさまと、冷めた思考でそれを語り続けるギャップ。〈彼〉の視点がリアリズムを基調としているだけに、恐ろしいほどの狂気を感じてしまう。それでいて、幼女連続失踪事件の残酷な真相がある種の共鳴を誘うのは、そこに大切な人を失った絶望や孤独を、神や信仰は癒やしてくれるのかという普遍的な問いかけがあるからだ。
彼はまた『夜想』という作品で、ひとは苦悩の渦中で何を求めるのかを描いた。主人公は、長距離トラックの居眠り運転事故によって、目の前で妻子を亡くす悲劇を味わったカーディーラーの雪籐直義(ゆきとうただよし)。ショックで抜け殻のようになっていた矢先、物に触ることでそこにこもった思念を読み取ることができる不思議な能力を持った天美遙(あまみはるか)と出会う。やがて遙の力をもっと多くの人に役立てたい、同時に、恵まれた境遇とは言えない遙の力になりたいと人生をつぎ込む。並行して語られるのは、シングルマザーの嘉子の問題だ。娘の反抗期に手を焼いていたが、ある朝、娘は忽然といなくなり、連絡が取れなくなる。娘を捜して占いなどを転々とするうち、評判の女教祖に見てもらうことになったが……。ここからはどんでん返しの連続だ。遙を取り巻く環境が新興宗教サークルのように変質していくさまや、雪籐が癒されていたものの正体、嘉子自身の自己暗示の苦い顛末などが、次々と明かされる。
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