- 2021.04.16
- 書評
「宗教とは何か」という大きな問いに向き合う長い旅
文:三浦 天紗子 (ライター・ブックカウンセラー)
『神のふたつの貌』(貫井 徳郎)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
そんな第一部から月日が流れ、第二部は二十歳になった早乙女を追っていく。早乙女は大学生になっており、コンビニでアルバイトもしている。祖父や父に倣って神を信じ、将来は牧師職を継ぐつもりでいるけれど、いまだ神の愛が自分に注がれていることを感じられない。そんな彼の前に現れたのが、熱心なプロテスタント信者でもある同じ大学の八城翔子だ。彼女は幼いころに遭った交通事故のせいで左脚が不自由なのだが、〈主は決して、無意味な試練などお与えにならない〉と信じている。早乙女は、翔子と語り合えば語り合うほど、福音を求めているのに得られない自分と、すでに得ている彼女との違いは何なのかという壁に突き当たる。早乙女は十二歳のときに母を亡くしていて、その前後の記憶がない。神との距離を縮めるのは、記憶を失うほどの不幸を取り戻せばいいのかとも考える。そんな折りに、早乙女は、アルバイト先は何かしらの重い不幸を背負った人間ばかりが集まっていたと知る。中でも、オーナーのひとり息子である琢馬が自分を卑下するさまを憐れに感じた。早乙女はその苦しみを解放してやりたいと、不穏な計画を実行に移す。
第三部は、第一部と第二部を俯瞰し、縒り合わせるような位置から書かれていく。早乙女輝は四十代半ばの牧師になっていて、息子の創(そう)が、かつての自分のように神の存在に翻弄されながら神について深く考えている手応えを持っている。そのことに喜びを見出しながら、自分の人生と二重写しのように見える創の人生に、早乙女は父として不安を覚えてもいた。郁代という信者の女性、そして郁代に近づいていく棚倉という正体不明の男が、早乙女父子と関わったのもまた、神との契約なのか。ふたりの登場によって、物語は急展開し、予想もしない結末へと進んでいく。
三部という構成に、作者のあるたくらみが仕掛けられているが、それにいつ気づくかはこの作品を楽しむ上でそれほど問題にはならないと思う。ただ思うのは、安易な救いは安易な依存にしかならないことを、またも貫井は描きたかったのかもしれないということだ。
ラストで全能の父なる神は、早乙女父子の選択をどう受け止めたのか。試練を与える神の厳しい貌とすべてを肯定する神の慈愛に満ちた貌、ふたつの貌のうち、どちらを向けたのか。その答えは、信仰をめぐる長い旅を終えた読者ひとりひとりの中にある。
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