
新航路の「発見」は、それを逆転し、アジア人の価格決定権を、少なくともかなり弱めた。これによって経済的に見れば、ヨーロッパはようやくアジアとの競争に少しずつ勝てるようになっていったのである。しかし16世紀の段階では、経済的にはアジアより劣っていたことを忘れてはならない。アジアに輸出できる商品がなく、輸入超過だったからだ。
筆者は、この「ヨーロッパによるグローバルな交易ネットワークの成立」こそ、16世紀の大きな特徴だったと考える。
ヨーロッパの拡張と三つの革命
16世紀の世界史の最大の特徴は、ヨーロッパ人のヨーロッパ外世界への拡張にあった。
そこにリンクするようにして起きたのが、軍事革命と宗教改革、さらに科学革命であった。この三つは連動しながら、ヨーロッパ人の世界支配へとつながっていく。
本書の内容の理解を容易にするために、ここで軍事革命、宗教改革、科学革命について、簡単にまとめておこう。
軍事革命という用語は、現在の世界の歴史学界で、広く用いられる共通の用語となっている。中村武司が簡潔にその内容についてまとめているので、ここで紹介してみたい。
1 16世紀以降のヨーロッパでは、大砲やマスケット銃〔火縄銃──引用者〕などが主要な兵器となり、それらを装備する歩兵が兵力の中心をなすようになった。……また海上においても、軍艦に装備される舷側砲が発展した。このことは、非ヨーロッパ世界におけるヨーロッパの軍事的優位を考えるにあたりしばしば重視される。
2 兵器や防衛建築の変化、それにともなう戦術・戦略の変化から、ヨーロッパ諸国の兵力の規模は飛躍的かつ持続的に増加した。16世紀以前であれば、 1万5000人を超える軍隊が動員されることはまれだったが、16世紀に入ると各国ともに軍隊の規模は数万を数えるようになり、兵力の膨張傾向はその後も継続したのである。
3 このような兵器や兵力などの変化は、大量の人的・物的資源が戦争で動員されることを意味する。
(中村武司「近世ヨーロッパにおける軍事革命と財政軍事国家」『高等学校 世界史のしおり』2014年度1学期号)