本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
過去のいじめが無差別大量殺人犯を生み出したのか――『悪の芽』(貫井徳郎)

過去のいじめが無差別大量殺人犯を生み出したのか――『悪の芽』(貫井徳郎)

「オール讀物」編集部

Book Talk/最新作を語る

出典 : #オール讀物
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

幼き頃の出来心が招いた後悔
『悪の芽』(貫井 徳郎)

 銀行員の足立周は仕事では出世コースに乗り、家庭では二人の娘に恵まれる順風満帆な人生を送っていた。そんな生活がある日一変する。大規模アニメイベント会場で起きた無差別大量殺人犯が小学校時代の同級生・斎木均であることが発覚したのだ。犯行直後に自ら命を絶った斎木は、小学生時代にいじめに遭い、以来恵まれない生活を送っていたことが報道された。安達はいじめには加担しなかったものの、斎木がいじめられたのは、安達が軽い気持ちでつけてしまった“さいききん”という、あだ名がきっかけだった。

「刑罰に問われるわけではないけれど、自分で背負うしかない罪を描きたかったんです。特に安達のような、自分が悪い人間だと思っていない人が過去を振り返ったときに、良心の呵責を感じ、苦しんでしまうシチュエーションを作りました」

 過去のいじめが事件を引き起こした原因ではという憶測がネット上をにぎわせ、いじめた人間を特定しようという動きが過熱する。精神的に追い詰められた安達は、斎木とかかわりのある人間を訪ね歩いて事件の動機を探ることに—。作中では、犯行現場で偶然ムービーを撮影していた亀谷壮弥、被害者家族の江成厚子ら、倒錯した正義感で行動する人たちのエピソードも語られる。一見彼らは遠い存在に見えるが、読み進めるうちに多くの人は「自分にも似たところはないだろうか」と考えさせられるだろう。結果、我々の心にも潜む“悪の芽”に目を向けざるを得なくなるのだ。

「これまでは、ストーリー展開に関係のない描写は省こうという気持ちがあったのですが、本作では生活の中のディテールをより深く精密に書くことを意識しました。それが出てくる人間のリアリティにつながっているのかもしれません。僕は登場人物に憑依して執筆するタイプなので、書いているときはストレスで突発性難聴になってしまいました」

 現在韓国では著名人による過去のいじめが社会問題化している。小説が現実を先取りした形になったが、貫井さんは「複雑な心境です」と嘆息した。

「時代の空気を嗅ぎとって文章に落とし込むのが小説家の仕事の一つですが、同じような事件が実際に起きてほしいとは思っていません。作中、『人間が作った社会は、本当なら助け合って弱い人も生きていけるようにする仕組みだったはず』という言葉がありますが、現実はなかなか難しいですよね」

 だからこそ、作品のラストで描かれるあるエピソードは、読んだ者の心を打つに違いない。


ぬくいとくろう 一九六八年生まれ。九三年『慟哭』でデビュー。二〇一〇年『乱反射』で日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門、『後悔と真実の色』で山本周五郎賞を受賞。


(「オール讀物」5月号より)

ページの先頭へ戻る