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台湾の古都、台南にいい旅をしたような思いにさせてくれる、読み応えある小説

台湾の古都、台南にいい旅をしたような思いにさせてくれる、読み応えある小説

文:川本 三郎 (評論家)

『六月の雪』(乃南 アサ)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

『六月の雪』(乃南 アサ)

 未來が台南で会った、日本時代を知っている老人は、国民党の時代は残酷な事件がたくさん起き、台湾人が何人も殺されたと語る。

 現在、台湾は親日国家として知られる。はじめて台湾を旅した日本人の多くは、台湾人に親切にされ、台湾が好きになる。リピーターになる。台湾が親日国家なのは、国民党の時代の恐怖を経験したからなのだろう。

 日本時代にはいい日本人が多かったこともある。未來は、台南で、八田與一(はったよいち)という台湾の治水、灌漑(かんがい)に力を尽した、台湾ではよく知られた技術者がいたことを知る。さらに子供の頃に日本人の警官に親切にされた台湾人の述懐を聞く。祖母が、台南に戻りたいと夢見るのも、子供時代、台湾人とのあいだに摩擦がなかったためだろう。実際、祖母が敗戦後、高雄から日本に引揚げる時、台湾人の同級生と泣いて別れたという。

 本書には登場しないが、立石鐵臣(たていしてつおみ)という台湾で生まれ、台湾を愛した画家がいる(一九〇五―一九八〇)。戦前、台湾で活動し、いくつもの作品を発表した。敗戦後、基隆(キールン)の港から船で帰る時、波止場には多くの台湾人が見送りに来て、日本語で「蛍の光」を歌って別れを告げたという。まさに「相思相愛」である。

 

 未來は台南で、そうした「相思相愛」を洪春霞や林賢成たちに感じる。この小説には、サイドストーリーというべき、もうひとつの痛ましい話が語られる。未來が、かつて祖母の一家が住んでいたと思われる家を訪ねると、そこに、老いた母親と娘が暮している。劉呉秀麗(りゅうごしゅうれい)と劉慧雯(りゅうけいぶん)。二人がそれぞれに語るライフストーリーは、夫の暴力、貧困、病気など悲惨なものがあり、話を聞いた未來はその暗く重い人生に打ちのめされる。

 それでも、劉慧雯の、絶望のなかでもなお前を向いて生きようとする姿には心揺さぶられる。実際、祖母がもう一度、見たいといっていた「六月の雪」が咲いている場所を教えてくれるのは劉慧雯である。「六月の雪」とは、欖李花(ランリーファ)という六月に咲く白い花が雪のように見えるので、そう名付けられている。

 この花の咲く場所で「みんなで写真、撮りましょう」と未來が、洪春霞、劉慧雯、それにあとから駆けつけた李怡華の四人で写真を撮るところは、その「相思相愛」に胸を打たれる。

 最後、日本に帰る未來を李怡華が松山空港に見送る。この時、いつも無愛想で未來をいらいらさせていた李怡華がこんなことをいう。「台湾人は日本人に比べて感情の表現をそんなにしない」。なぜか。台湾では長く戒厳令下が続き、自由がなかった。人に本音で話すと逮捕されかねない。だから、感情を素直に表に出すのが下手なのだ、と。

 この李怡華の言葉には、未來ならずとも納得し、慄然とする。「相思相愛」といっても日本人はまだ台湾の歴史、現実は本当のところよく理解していない。未來がこれからは台湾の言葉を勉強しようと決意するのは、より「相思相愛」を深めるためだろう。

 ここで書くのは控えるが、「エピローグ」で読者は、とても悲しい事実を知ることになる。これは正直つらい。

 最後に注をつけると、「相思相愛」とは、二〇一六年に台南の国立台湾文学館で開かれた「台日交流文学特別展」の図録にある言葉。台湾と日本は政治上の国交はないが、両国は強い親近感と信頼感でつながっているという意。

文春文庫
六月の雪
乃南アサ

定価:1,144円(税込)発売日:2021年05月07日

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