台湾では長く続いた国民党時代には、日本は敵視され、日本文化の紹介も制限されていた。一九八七年にようやく戒厳令が解除され、民主化が進むにつれ、日本文化が次々に入ってきて、若い世代には日本のアニメなどを愛する「哈日(ハーリー)病」(日本マニア)が現われた。洪春霞はその影響を受けているのだろう。
彼女は日本語を話すことが出来る。ただ、かなり乱暴で「あったりまえじゃないかよ」「もう、うるせえなあ!」と言う(あとで彼女は日本のキャバクラで働いていたことが分かる)。それでも、いたって気のいい女性が、その乱暴な調子で話すのがむしろ可愛く聞える。
しかも、彼女は未來にきちんと台湾では、以前は日本は悪者だったと教える。「らってねー(彼女は「だ」を「ら」という。これも可愛い)、大体七十六年くらいまでは、日本のことは全部タブーらったんらからな。テレビもアニメも雑誌も、音楽とかも、ぜーんぶ。学校でも、日本はとーっても悪い国、日本人は鬼ら、『小鬼子(シャオクイツ)』らって教えてたんら」。ちなみに台湾の年号は、一九一二年の孫文による中華民国成立を民国元年とするから彼女のいう「七十六年」とは、戒厳令が解除された一九八七年ごろのことを指している。
未來より若い洪春霞だが、自分の国の歴史は把握している。「蒋介石は、ホントひどかったんらよ」と未來に説明する。「日本人いなくなった後、日本人の財産ぜーんぶ、自分のものにして、台湾人ものすごーくたくさん、殺したんらって」。
日本では、侯孝賢監督の「非情城市」(89年)で知られるようになった一九四七年のいわゆる2・28事件(国民党による台湾人弾圧)のことを言っている。観光客として台湾にきた未來は、その事実に驚く。「台湾といえば陽光燦々(さんさん)と降り注ぐ穏やかな南国で、誰もが自由でおっとりしたリゾート地といった印象を抱いていたのに」。
この小説は、一観光客として台湾にやってきた未來が、徐々に台湾の歴史の厳しさを知ってゆく成長小説の趣きがある。
未來は、洪春霞とその友人、大学院で建築を学ぶ楊建智(ようけんち)、その高校時代の先生である林賢成(りんけんせい)の案内で、台南の古い町を歩く。
そして、祖母が通っていた旧台南第一高等女学校の建物がいまも健在で台湾の女学校になっていること、祖母の父親が働いていた製糖工場の試験所も現役であることを知って感激してゆく。スマホで撮った写真を日本の祖母に送る。祖母は懐しい故郷の写真を見て喜ぶ。
二〇一五年にホアン・ミンチェン監督によるドキュメンタリー映画「湾生回家(わんせいかいか)」が作られ、話題になったことがある。
台湾で生まれ育ち、敗戦後、日本という“見知らぬ国”へ戻された日本人、いまは高齢になった故郷喪失者たちが、何年ぶりかで生まれ故郷の台湾を訪れ、子供時代を懐しむ。その姿を追っている。
植民地の支配者だった日本人が、台湾を故郷と偲ぶ。驚くのは、台湾の人たちがその日本人を温かく迎えてくれること。
本書にも出てくるが、台湾には「犬が去って、ブタが来た」という有名な言葉がある。犬は日本人のこと。吠えてうるさいが、番犬として役にはたった。ところが犬にかわってやってきたブタ(国民党)は犬よりひどい。汚なくて、なんでも壊して奪う。
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