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台湾の古都、台南にいい旅をしたような思いにさせてくれる、読み応えある小説

台湾の古都、台南にいい旅をしたような思いにさせてくれる、読み応えある小説

文:川本 三郎 (評論家)

『六月の雪』(乃南 アサ)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

『六月の雪』(乃南 アサ)

 台湾の古都、台南にいい旅をしたような思いにさせてくれる、読みごたえのある小説である。

 主人公の杉山未來は声優をめざしていたが三十歳を前に挫折。その後、三年間、契約社員の事務員として働いた。三十二歳になるいま、これからどう生きていったらいいか迷っている。そんな折り、祖母が台湾の生まれだと知り、驚く。祖母は孫の未來にそのことを初めて話した。

 祖母は昭和四年(一九二九)、台南に生まれ、日本の敗戦まで十六年間、台南で育ったという。台湾生まれの日本人、いわゆる「湾生(わんせい)」である。

 老いが進んだときひとは子供時代を懐しむものだが、祖母も夢で台南の懐しい風景を見て、「生まれ故郷」である台南の家に帰りたいといいだす。祖母の父親は台南にある日本の製糖工場の研究所で働いていて、祖母はその工場の社宅で生まれたのだという。

 未來は日本の若い世代で、台湾の歴史をほとんど知らない。日清戦争のあと、台湾が日本の植民地だったことも、第二次大戦後、中国大陸から共産党に追われてきた蒋介石の国民党が台湾を支配したことも。その外から来た国民党がもともと台湾にいた人々に苛酷な弾圧を加えたことも。

 台湾について何も知らない未來を主人公にしたことが、この小説の面白さの一因だろう。祖母の生まれた台南の町を見てみたいと思い立った未來は、一週間ほどの予定で台南への旅に出かけることになるのだが、何も知らないから、はじめて見る台南の町に新鮮な感動を覚えるし、町を案内してくれる台湾の人たちによって、台湾の歴史を教えられてゆく。いわば未來は読者代表になる。

 

 祖母のために、かつて祖母が暮していた町がどうなっているか見てみたい。未來はそう思い立って一人、台湾に向かう。といっても中国語が出来ないから、案内してくれる人間が必要になる。幸い大学の先生をしている父親が、以前の教え子の台湾の女性を紹介してくれる。

 李怡華(りいか)というその女性の案内で台北から、日本の新幹線のような高速鉄道に乗って約一時間半で台南に着く。

 台湾の都市を日本の都市にたとえると、台北は東京、台中は名古屋、台南は京都、高雄は大阪という。台南は台湾のなかではもっとも早く発展した町で、日本における京都と同じように古都で古い建物や遺跡が多い。

 未來は、李怡華の案内で町を歩く。日本時代の旧台南州庁の建物(現在は国立台湾文学館)をはじめ、日本時代の家屋が多く残っているのに驚く。当然のように看板が漢字だらけであるのにも。あるいは、商店街の表側に亭仔脚(ていしきゃく)と呼ばれるアーケードが作られていてそれが日本時代に作られたものであることにも驚く。

 未來ははじめ一観光客として台南を見ている。しかし、徐々に、この町の歴史を学んでゆく。案内役の李怡華は途中で用事があるからと、新竹(しんちく)の家に帰ってしまう。なんと無責任なと未來は怒るが、幸いなことに、代わりに案内役として登場した洪春霞(こうしゅんか)は、いたって気のいい、愛敬のある若い女性で、未來は彼女にすぐに打ち解ける。

 洪春霞は日本のアニメが好きらしく、自分のことは名前に「霞」があるし「ポケットモンスター」に出てきたカスミというキャラクターが好きなので「かすみちゃん」と呼んでくれという。

六月の雪
乃南アサ

定価:1,144円(税込)発売日:2021年05月07日

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