
- 2021.05.24
- ちょい読み
立憲民主党代表が、総選挙に向けて提示する、目指すべき社会のあり方
枝野 幸男
『枝野ビジョン 支え合う日本 』(枝野 幸男)
出典 : #文春新書
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス
三月一二日の早朝、菅総理は、原子力発電所を含む被害状況を直接に把握する必要があるとして、ヘリコプターで総理官邸から飛び立った。その直後、万一の場合が頭をよぎり、私は背筋が寒くなった。私は、総理大臣臨時代理順位の第一位、総理に万一のことがあれば、この空前の危機に、トップリーダーとして対応しなければならない。発災直後から、官房長官として、すべての責任を背負ってこの危機に対応するのだと、腹を据えていたつもりだったし、その時点では、専門家から原子力発電所が爆発する可能性はないと言われていたが、官房長官等の一閣僚とは質的にも量的にも比べものにならない、総理が背負っているものの重さを、はじめて、みずからのこととして垣間見た瞬間だった。
そして、三月一二日に水素爆発が起きるなど、事態がさらに深刻化する中、三月一五日未明、東京電力が、福島第一原子力発電所からの撤退を打診してきた。事態が深刻化し、現場で作業を続ける方々には、命に直接かかわる危機が高まっていた。現場での作業を止めれば日本全体が大変なことになるから、撤退はありえないと思いつつも、平時に一般論として「命を懸けて欲しい」と言うのと、現に存在する危機にあってお願いすることは、決定的に意味が違う。
私は、関係する政府首脳や専門家と情報や認識を共有した上で、総理に判断を仰いだ。当時の菅総理は、いつも以上に毅然とした態度で、そしてためらうことなく、撤退は認めないと決断した。当然の決断と思いながら、同時に、このように重い判断を決然と下したことに、総理の責任の過酷さを改めて痛感した。
民主党が下野した後、何度か行われた野党第一党の党首選挙の都度、立候補を促す声をかけてくれる仲間がいた。それぞれの時点で、そもそも立候補に必要な推薦人が集まってくれるのかわからなかったが、それ以前に、私は、総理になる準備も覚悟もできていなかったために、そのありがたいお誘いをお断りしてきた。
本書は、二〇一四年ごろから執筆を始めたものである。下野した民主党の一員として、そしてリーダーシップを発揮することを勧めてくれる仲間もいる中で、総理になる準備と覚悟を、執筆を通じて確認していきたい、という思いだった。
慌ただしく展開する政治の流れの中で、本書を書き上げることができないまま二〇一七年九月の民進党代表選に立候補した。本書の出版は間に合わなかったが、総理になる準備が整い、その覚悟ができたと確信したからに他ならない。
その後は、私が想像もしなかった展開で野党第一党の代表となり、政権の選択肢となるために、そして、政権奪取を目指すために、さらに慌ただしい日々が続いた。そんな中でも、何年にもわたって、何度となく書き直しや書き加えを重ねながら、政権選択選挙=衆議院総選挙までに世の中に示したいと思ってきた。
本書を書き上げ、そんな準備と覚悟の一端を示すことができたと思っている。
まずは、先入観にとらわれず本書をお読みいただき、日本の未来を考えていただければありがたい。
二〇二一年四月
(「はじめに」より)