『星の王子様』作者の最期とは
世界的ベストセラーとして日本でも親しまれている『星の王子さま』。その作者、サン=テグジュペリは一体どんな人物だったのか。佐藤賢一さんの『最終飛行』は、第二次世界大戦期を通して、作家であり、飛行士であった彼の素顔に迫る傑作長編だ。
「デュマ家三部作を書いたので、次も作家について書きたいと考えていたんです。まだフランスの通貨がフランだった時、50フランに描かれていたのがサン=テグジュペリでした。50フランは日本の千円札のような感じで一番身近なお札ですが、そこに描かれていたくらい、フランスで親しまれている作家なんです」
サン=テグジュペリというとまず『星の王子さま』が思い浮かぶが、その執筆前から、郵便機の操縦士としての経験を描いた『夜間飛行』や『人間の土地』で有名な作家であり、国内外で影響力があった。そのため、ナチスドイツによってパリが占領されるとアメリカへ亡命し、アメリカ参戦を訴えた。
「私自身、サン=テグジュペリの入り口は『星の王子さま』でした。そうすると、純粋で優しくて理想主義的な人物を想像しますし、勿論、それも一面ではあるのですが、一方で彼はとても破天荒な人だったんです。首相に直に会いに行ったり、妻以外にも恋人がたくさんいたり。作家や芸術家でまったく生活力がない人の話を聞くことがありますが、彼もまさにそう。ロッカーの写真が残っていますが、あんなにメチャクチャなロッカーは初めて見ました(笑)。理想主義的な価値観や文学観と、破天荒な実態、その両方を持ち合わせているのが、ある意味で作家らしいと思ったんです。また、作家であるだけではなく、飛行士であり、実際に行動する人間であるというのも魅力的です。彼は相当無茶なこともやっていて、しかも、それを文学にしてしまう。作品は勿論、その生き方にも惹かれました」
サン=テグジュペリは各地に恋人がいたが、南米出身で芸術家の妻、コンスエロもまた奔放だった。
「他に相手を求めることに特に罪悪感を抱いている様子もなく、では離婚するのかというと、どちらも結婚にはこだわっている。不思議な関係性です。『星の王子さま』に出てくる薔薇はコンスエロがモデルだということにうまく落とし込めばとても美しいのですが、実際には、その執筆中には二人とも他に恋人がいて、その背景は非常に複雑なんです」
アメリカでは、映画監督のルノワールと親しくなって共に『人間の土地』の映画化に向けて動いたり、新たな作品を執筆したりするが、ドゥ・ゴールが率いる自由フランス(対ドイツ抵抗派)にもヴィシー政権(対ドイツ融和派)にも与しなかったため、亡命フランス人の間で批判を浴びる。その葛藤の中で描いたのが、唯一の子ども向け作品『星の王子さま』だった。
「彼が政治的にこれだけ苦しい立場にあったというのは意外でした。そしてその状況が、“自分は戦場で闘わなければならない”という思いにも繋がったのだと思います。というのも彼は、戦後、ドゥ・ゴールによる粛清が起こるのではないかと恐れていたんです」
その後、アメリカが参戦し、サン=テグジュペリは念願の戦線復帰。北アフリカへ渡り、周囲が止めるのも聞かずに偵察飛行を繰り返す。
「彼は、40歳を過ぎて年齢制限を超えていたにもかかわらず飛行機に乗っていた。しかも、当時最新鋭だったアメリカのライトニングです。飛行機が凄まじいスピードで進化していた時代に、よくついていけたなと、乗り続けてしまう強引さまで含めてすごいと思います。だからこそ、戦争で飛行機がシビアな乗り物になってしまったことが悲しいですね」
武器を積まず、ただ攻撃される危険に晒されながらの偵察飛行だったが、コルス島を飛び立ったのを最後に消息を絶ってしまう。地中海のマルセイユ沖から乗っていた飛行機の残骸が引き上げられたのは、2000年代になってからだった。
「『星の王子さま』は、どうしてここに落着するのかわかるようでわからない、不思議な終わり方をしていますが、サン=テグジュペリ自身の中にも、はっきりとした理屈はなかったのではないかと思うんです。彼には、自分がこれからどうなるかわかっていたところがあって、そのイメージが無意識のうちに出ていたのではないかと思います。実際には彼がどう戦ってどんな最期を迎えたのか確証はありませんが、こういう想定もあるのかな、という思いで書きました」
さとうけんいち 1968年山形県生まれ。93年『ジャガーになった男』で小説すばる新人賞、99年『王妃の離婚』で直木賞、2020年『ナポレオン』(全3巻)で司馬遼太郎賞受賞。
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