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対談 若松英輔×山本芳久 神学者がとらえたコロナ危機

対談 若松英輔×山本芳久 神学者がとらえたコロナ危機

若松 英輔 ,山本 芳久

文學界9月号

出典 : #文學界
ジャンル : #小説

大きな災厄が世界を覆うとき、神はどこにいるのか。キリスト教は疫病とどう向き合ってきたのか。

過去の叡智をコロナ禍で読み解く、今を生きるための神学対談。


「文學界 9月号」(文藝春秋 編)

■神学とは何か

 山本 今回は「危機の時代の神学」をめぐる対談の三回目ということで、「神学とは何か」という話と絡めて危機の話を、特にコロナにおける危機の話をしてみたいと思います。まず、神学というものはどのように生まれてきたのかというところから始めましょう。

 キリスト教で最初に書かれたものは『聖書』ですね。まず『旧約聖書』を受容しつつ『新約聖書』を構成する諸々の文書が書かれてから、元来キリスト教とは直接関係のない古代ギリシア哲学などと結びつく仕方で、より体系的なキリスト教の神学が成立していくことになったわけです。これは逆に言うと、『聖書』はキリスト教の基盤となる最も重要な本でありながら、あまり体系的ではないということでもあります。例えば『旧約聖書』にはさまざまな預言者やモーセの物語など、非常に具体的な物語がたくさん出てきますし、『新約聖書』もまた、イエスをめぐるさまざまな出来事が書かれた福音書や、さまざまな機会に書かれた書簡であって、全体としてキリスト教の教えが必ずしも体系的に書かれているわけではない。むしろ神学というものは、キリスト教が発展していくにつれて、ギリシアで成立した体系的な学問の助けを借りながら、少しずつ体系化されて成立していったわけです。

 そして神学について語る場合にまずお伝えしておきたいのは、キリスト教の神学には、実に多様なものがあるという事実です。というのも、日本においては「キリスト教、一神教とはこういうものだ」という、あるステレオタイプの理解があると思うのですが、神学というものは、キリスト教の中でもかなり論争的な仕方で成立してきたものだからです。特に、断片的とも言える聖書のさまざまな記述、さまざまな出来事のどこを強調するかによって、ずいぶんキリスト教の捉え方が変わってくると思うんです。

■神学者がとらえたコロナ危機

 山本 今回のコロナの出来事をめぐっても、すでにさまざまな神学者たちが論考を書いていますが、そこにはそれぞれのキリスト教の捉え方がにじみ出ている。そこで、それらを批判的に読み解きながら「神学とは何か」を考えていきたいと思います。

 まずはジョン・パイパーという神学者が書いた『コロナウイルスとキリスト』(いのちのことば社)、次にジョン・レノックス『コロナウイルス禍の世界で、神はどこにいるのか』(いのちのことば社)、そしてN・T・ライトという神学者、聖書学者の書いた『神とパンデミック』(あめんどう)というものです。プロテスタントの神学者が書いたものが多いのですが、あまり私が賛同しないものから、より賛同するものへという順序で並べてみました。

 最初に挙げたパイパーの『コロナウイルスとキリスト』は、コロナに関するキリスト教の立場からの本としては、おそらく最初に翻訳されたものですが、読んでみると結構驚く内容です。コロナという今回の出来事が何を語っているのか、神が何を語ろうとしているのか、それには六つの答えがあるとパイパーは言っています。

 まず第一の答え。「神はコロナウイルスの大流行によって、ほかのどのような大災厄の場合とも同じく、神を軽んじる罪が、どれほど道徳的に恐怖すべき、霊的に醜悪なものであるかを、目に見える物理的な形で世界に示しておられる」と書いています。要するに、世界中の人々が苦しむ大変な事態の背後には、もともと人間が神に対して犯した罪があるのだと言う。普段は目の当たりにならないけれども、それがいかに恐るべきものなのかを、神が目に見える形で示しているというわけです。

 今回のコロナの事態だけでなく、3.11のような大きな災厄が起きた時にも、キリスト教ではないさまざまな文脈で、「これは天罰だ」という言い方がされました。何か未曾有の事態が起きると、必ずこのような発言が出てくるわけですが、パイパーのようなキリスト教の神学者においても例外ではないということです。

 でも、この第一の答えはまだまだ出発点に過ぎません。第二の答えは「一部の人々がコロナウイルスに感染するのは、その罪深い態度と行動のために、神から下る特定的な裁きとしてであろう」とあります。つまり、コロナの出来事全体は、人類が自然界を破壊したからなどと合理的に説明可能な仕方ではなく、もっと端的に、感染者一人ひとりの罪深さに対する特定的な裁きとして起きたのだというわけです。

 私がそもそも最初に神学の多様性を言ったのは、キリスト教というのはこのように、現在起こるさまざまな出来事を聖書と結びつけたりしながら、宗教的な文脈以外では生じにくいような極端な解釈をするものだとは思っていただきたくないからです。

 さらに第三の答えは「コロナウイルスは、キリストの再臨に備えさせるために、神から与えられた警鐘である」。コロナウイルスというものは、いかに平穏な生活が当たり前のものではないかということに気づかせてくれた。これをきっかけに、あらためて本当のカタストロフ、つまりキリストの再臨という決定的なことに備えなさいと言うわけです。

 第四の答えは「コロナウイルスは神の雷鳴のような呼びかけであって、私たちが皆悔い改めて、キリストの無限の貴さを中心に人生を立て直すことを求めている」。これは比較的穏当に思われるかもしれません。

 第五の答えは「コロナウイルスの大発生は、ご自分の民に対する神の呼びかけであって、私たちが自己憐憫と恐れに打ち勝ち、勇敢な喜びをもって愛のよいわざを行い、神の栄光を現すことを求めている」。つまり、世界中の人々が大変ななかで、愛のわざを行いなさいと言う。これはいかにもキリスト教的なメッセージですよね。聖書を見れば、確かにさまざまな悲惨な出来事が起こるその背景に、人々の罪があると語られているように読める部分もあるわけです。このパイパーの本においても、そういう箇所から答えを引き出している部分もあれば、この第五の答えのように、穏当なところから答えを導き出している箇所もあります。


わかまつ・えいすけ 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授・批評家。1968年生まれ。『小林秀雄 美しい花』で角川財団学芸賞、蓮如賞受賞。『「生きがい」と出会うために 神谷美恵子のいのちの哲学』など著書多数。

やまもと・よしひさ 東京大学大学院総合文化研究科教授。1973年生まれ。専門は哲学・倫理学(西洋中世哲学・イスラーム哲学)、キリスト教学。『トマス・アクィナス 理性と神秘』(岩波新書)でサントリー学芸賞受賞。

 

この続きは、「文學界」9月号に全文掲載されています。

文學界(2021年9月号)

文藝春秋

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