昔の人は本がない時代だから、本を丸ごと写すことも苦にしなかったようで、わたしの先祖の細川幽斎は、あの大部の源氏物語をすべて書き写している。わたしの父の時代の人たちでも筆写をさかんにやっていて、そんな父のノートが数冊残っているが、骨の折れるその作業は熟読以上に文字で心を洗うことになったのだろう。
アンドレ・モロワは「本を読みながら、ノートを傍らに置いて、覚えておきたいと思う意味深い箴言を書きとめておくのは好ましいことだ。いつか気分がふさぎ込んだときなど、これを眺めれば、書きとめられた賢者たちの思索は、生きてゆくのを助けてくれるだろう」といっている。
安岡正篤氏も、まず何より語録を読むべしとして、「もともと、生きた悟りや心にひらめく真実の智慧、あるいは力強い実践力とか、行動力というものは、決してだらだらした長ったらしい概念や理論から得られるものではない。これは体験と精神とが凝結している片言隻句によって悟るのであり、またこれを把握することによって行動するのだ」といっている。
何度も何度もその章句を読んで心の襞に焼きつけておくことによって、なにか問題にぶつかったときに、ハッと悟って、その語録が行動指針となるのだということをわたしも幾度となく経験してきた。
そんなわけだから、わたしも若いときから本を読んで気に入った章句があると、できるだけメモをとるようにしていたし、また付箋を貼ったり、傍線を引いたりもよくしてきた。結局自分はそれらの言葉によっていまの自分を確立してきたのだと思うし、これなしには自分というものはなかったと思う。
そうやってできあがったノートには、相当な数の言葉があるのだが、今回はその中からいまの気持ちにぴったりくるようなものを五十ばかり抜き出してアンソロジーを編ませていただいた。言葉をそのまま引用した場合もあれば、わたしが意訳したものもある。また、章句を生み出した人の生き方に感銘を受けわたしなりにその生涯を一言で表わしたものもある。
それらの箴言のうち一つでも読者の元気づけになるなら、わたしとしてもこれに勝る喜びはない。
(「はじめに」より)