8月に『平成史―昨日の世界のすべて』を上梓したばかりの與那覇潤さんと、今年も『中国vs.世界 呑まれる国、抗う国』など旺盛な執筆を続ける安田峰俊さん。平成の日本から、コロナ時代の世界情勢に至るまで語り合ったオンライントークイベント(ジュンク堂書店池袋本店主催、2021年8月19日)を抄録します。
■武漢ロックダウン礼賛論の不可解
與那覇 安田さんと知り合ったのは、今から10年前の2011年、つまり東日本大震災の年です。私は同年の11月に『中国化する日本』を刊行したのですが、その際SNS経由で現代中国について教えていただいたり、著者インタビューをしてくださったりしたのがきっかけでした。
当時は「日本が中国化している」と主張すると、何を突飛なことを言っているんだと叩かれたりもしました。しかし2020年以降の新型コロナパニックではっきりしたのは、日本はおろか、欧米も含めた世界中が防疫対策のために「中国みたいになってきている」という事実です。そのあたりをどう見るべきか、現代中国ルポの第一人者である安田さんにぜひお聞きしたいと思います。
安田 よろしくお願いします。
與那覇 「日本が中国化している」といった言い方は、第二次安倍政権(2012~20年)の後半から急速に一般化して、森友学園問題で公文書を改竄した・GDPの算定基準を操作して景気回復を大きく見せた、などのニュースが流れるごとに「まるで中国共産党のようだ」というコメントを多くの人が寄せるようになりました。これは本来、皮肉だったわけですが、昨年の新型コロナ禍以降は、さらに大きく構図が変わったように思います。
2020年の夏、日本では「第二波」と言われた頃にお昼のワイドショーをつけたら、素で「中国のコロナ対策はすごい。日本も見習って!」と肯定的に紹介していたんです。世界で最初に感染爆発が起きた武漢市をすぐに封鎖(ロックダウン)し、徹底的に全住民をPCR検査して抑え込んだから、いま武漢は安全になって外出自由ですよと。これに対して自粛頼みの東京は、感染が収まらず全然ダメですみたいな報道ですね。
こうした「むしろ積極的に『中国化』してくれ。国家は強権の発動を!」といったムードを、どう考えたらよいのでしょうか。
安田 武漢のロックダウンは中国にしかできないやり方であって、人間の行動を追跡して、ちょっとでも感染の疑いがあれば拘束・隔離して断固として封じ込める。その過程における人権侵害に関しては目をつぶるという前提がなければできません。
しかも、それについては「泣くやつがいても仕方がない」というコンセンサスが、中国国民の間にある。ひとつは権力に対する距離感とあきらめであり、もうひとつは自分や家族の安全のためには他者の人権制限については容認するという不文律が共有されているからですね。そこまでわかった上で、中国のやり方を褒めるならわかるのですが……。
與那覇 平成の終わりまでは、中国当局の発表は「真実かわからないから、眉に唾をつけて聞こう」といった空気がありましたよね。しかしコロナでは感染症学などの理系の研究者までが、公式のデータだけを見て「中国の実績はスゴイ」と言っています。
■本当の危機は目にみえないところにある
安田 たぶん表面しか見ていないでしょうね。
中国に関するこうした「木を見て森を見ず」問題は、逆に中国報道や中国分析の言説の中にもあります。典型的なのは「中国は一人っ子政策が行き過ぎて、年寄りばかりになって経済が崩壊する」というやつです。
少子高齢化して人口構成がいびつになっているというのは、誰の目にも明らかな現象です。そういう「目に見える問題」に関しては、共産党政権はいざ取り組むモードになってからは、必ず修正をかけてきます。しかも強権的なロックダウンと同様の、われわれ日本人が事前には想像できないとんでもないやり方で。このあたりの、「とにかくなんとかしてしまう」権力に対するいびつな信頼感みたいな感覚は、外部には伝わらない部分だと思います。
逆に中国にとっての本当の危機は、そういう表の数字にはあらわれない部分で進行していると思うんです。たとえば今の10代、20代の中国の若者は、イデオロギー教育が効きすぎて、物事を批判的に考えることができない。理系的知識はあるけれど、イデオロギーの影響を受けやすい文系的な教養はいびつ、という傾向が習近平体制以降は加速しています。
與那覇 総テクノクラート化が進んでいると。ある意味で日本でも支持者の多い、「大事なのは理系・IT教育。人文系の教養なんて要らない」を先取りしている(笑)。
安田 ええ。しかし習近平の生物学的な寿命は、どう頑張ってもあと20年ぐらいでしょう。すべてを決めてくれる指導者がいなくなった後、自分で考える力を失った人間たちはどうしたらいいのか。
歴史は繰り返すものです。毛沢東を礼賛した紅衛兵世代が、毛の死後に中国版の「失われた世代」と化してしまった歴史を思い出します。
■タリバンと中国の接近は「第二の冷戦体制」?
與那覇 ところで安田さんは今年、怒涛の勢いで本を出されていますね。『現代中国の秘密結社』・『「低度」外国人材』・『八九六四 完全版』(再刊)・『中国vs.世界』と既に4冊です。
どれも大変充実した内容なのですが、「タリバンがアフガニスタンを再度掌握」という近日のニュースに照らした時、『中国vs.世界』は重要な一冊です。中国は新疆ウイグル自治区でイスラム教徒のウイグル族を弾圧していて、国際的に評判が悪いのですが、地政学的にはカザフスタン・パキスタンなどアフガン近辺のイスラム圏の国々との提携を、むしろ重視していると。
イスラム原理主義の典型とされるタリバンと、中国の関係は今後どうなるのでしょうか。
安田 実はカブール陥落の1週間前、中国はタリバンの代表者を天津に呼んで、今後について協議しているんですね。中国がタリバンにどこまで援助を与えているかは謎で、あまりタリバンに強くなられても困るでしょうから限定的なはずですが、「好意的中立」よりも仲がいいくらいの関係では。要するに「敵であるアメリカの敵は味方」という理屈です。
與那覇 思い返すと20世紀の米ソ冷戦時代にも、たとえばアメリカは「世界の民主主義体制を守る」と自称しつつ、しかし反共のためには軍事独裁政権も支援していました。そうした二枚舌のバージョンアップとして、中国が「国内ではイスラムを弾圧しつつ、海外では反米イスラム勢力を支援する」時代が生まれているのかもしれません。
■「平成を知らない子供たち」が大人になる時
安田 ここで目を日本に戻しますと、與那覇さんの『平成史』や『歴史なき時代に』を拝読して、つくづく日本人は歴史からものを学ぶことができなくなってしまったと感じました。阪神大震災とオウム事件のあった1995年に、あれほど危機管理の重要性が叫ばれたにもかかわらず、その教訓は東日本大震災にあまり活かされたように見えず、そして2011年の教訓もまたコロナで活かされない。
與那覇 冷戦体制下で固定されてきた「戦後」という秩序は、もう賞味期限が切れつつあるのではないか。そうした歴史感覚が左右を問わず共有されていたのが、平成最初の10年間です。つまり当時は、自分たちの過去を把握した上で「乗り越えよう」とする意識がありました。
しかし小泉純一郎政権(2001~06年)を中心とする真ん中の10年間は、「戦後的なもの」を壊してはみたものの、何が生まれたか分からずただもがいている感じ。2011年の震災対応にも追われた最後の10年間は、もう目の前のことだけで精一杯という印象です。
安田 ええ、とくに平成最後の10年が、日本全体が急速に廃れていきましたよね。
いっそ、今度のコロナと五輪の失敗が「新たな敗戦」として、巻き返すきっかけになってくれれば良かったのですが、どうもぬるい負け方に留まりそうです。
たとえて言えば、「太平洋戦争に負けた日本」ではなく、「日露戦争に負けた帝政ロシア」みたいな。国家としては致命的な敗戦をしているのですが、当事者的には本質的な深刻さが理解されておらず、一見するとぬるく日常の社会が続いている。
與那覇 「微妙に民意にすり寄ってあげれば、体制自体はこのままでええんちゃうの」と。要は菅義偉首相の首さえすげ替えれば、またみんな自民党支持に戻るんだって、といった空気は感じますよね。
安田 オリンピックも全然盛り上がらなくてグダグダなんだけど、「とりあえず最後までやったんだからいいでしょう」みたいな変な課題のクリアの仕方を、体制側に教えてしまったんじゃないかという気がします。目の前の課題だけとりあえずこなして、あとは国民が不満を忘れるのを待てばいいやというか。
與那覇 2015年の「戦後70周年」を越えたあたりから、日本の政治はそうなっていった気がします。もしスキャンダルが発覚したら、あえて謝らずにひたすら時間を稼ぎ、「次のスキャンダル」が出てきて国民の関心がそっちに向くのを待つのが実は必勝法だ、と(笑)。
しかし第二次安倍政権は足掛け9年の超長期政権ですから、これからは総理大臣といえばずっと安倍さんじゃないのと感じて育ってきた、平成の諸改革の記憶すらない「安倍ネイティブ」な世代が日本では主流になっていきます。そしてちょうどパラレルに、2012年に習近平が最高指導者になって以降しか知らない、だからイデオロギー教育にも疑いを持たない「習ネイティブ」世代が中国でも多数を占めてゆく。
安倍/習ネイティブが完全に社会の主流になった時、おそらく歴史は完全に死ぬというのか、参照しようにも「適切な形で過去を思い出せない」時代が始まるかもしれない。それこそが日中の今後を占う最大の焦点で、コロナはその前触れに過ぎなかったのかもしれませんね。
與那覇潤(よなはじゅん)
1979年生。評論家(元・歴史学者)。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。2020年、『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』(斎藤環との共著)で第19回小林秀雄賞を受賞。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史がおわるまえに』、『荒れ野の六十年』ほか多数。2021年3月~9月には、ジュンク堂書店池袋本店にて第31代目の作家書店の店長を務めた。
安田峰俊(やすだみねとし)
1982年、滋賀県生まれ。中国ルポライター。立命館大学人文科学研究所客員協力研究員。著書『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(KADOKAWA)が第5回城山三郎賞、第50回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2021年の近著に『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)、『「低度」外国人材』(KADOKAWA)、『八九六四 完全版』(角川新書)、『中国vs世界』(PHP新書)など。