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坊っちゃんって実は“コミュ障”!? 現代を生きるヒントが満載の“書店仕込み”の名著ガイド

坊っちゃんって実は“コミュ障”!? 現代を生きるヒントが満載の“書店仕込み”の名著ガイド

石井 千湖

『名著のツボ』(石井 千湖)


ジャンル : #ノンフィクション

ジェンダー問題を先取りしていた『源氏物語』、フィクションのお金が社会を動かすことを予見した『ファウスト』……「週刊文春」連載時から大きな反響を呼んでいた『名著のツボ 賢人たちが推す!最強ブックガイド』は、第一級の識者たちに、インタビューの名手・石井千湖さんが“名著の現代的魅力”をとことん聞いた〈本邦最高の名著ガイド〉本だ。現代を生きる力に直結する名著の魅力とは?


『名著のツボ』(石井 千湖)

“読み巧者”に教えてもらったら「坊っちゃんはコミュ障」だった!

――名著って言われるとやや身構えてしまうんですけど(笑)。

石井 その気持ちはすごくよく分かります。私自身、子どもの頃はミステリー好きで江戸川乱歩とか、ドイルの「シャーロック・ホームズ」やルブランの「ルパン」シリーズなどには親しんでいましたが、近代文学や世界文学にはまったのは学生時代のかなりあとのほうになってからです。大学の授業でも哲学の授業をとってましたがちんぷんかんぷんで、入門書を読んでもピンと来ませんでした。

 もともとはお堅い名著が得意でなかった私が今回、各分野の識者の先生方にインタビューさせてもらったのですが、これがものすごく面白かったんです。専門家のなかでも、今回はできるだけ原文を読み込んでいる方に集中的に聞きに行きました。とくに古典や海外文学は原文に触れてこそ豊かなニュアンスが汲み取れますから。

 “読み巧者”たちの語りから、その現代的な読み解きに知的好奇心が強く刺激されたのはもちろん、生々しく描かれた登場人物や筆者像がまるで同時代を生きる人のように、身近に感じられました。

――どんな発見があったか具体的に教えてください。

石井 たとえば夏目漱石の『坊っちゃん』の主人公は日本の近代文学を代表するヒーローですよね。ところが、作家の奥泉光さんに指摘されてハッとしたのですが、主人公の坊っちゃんはよく読むとかなり危なっかしいキャラクターです。同級生から挑発されたからといって校舎の二階から飛び降りたり、ナイフの切れ味を証明するために自分の手を切ったり! 本名のわからない彼は、友達もいないし、心を開けるのは下女のおばあさん清だけ。これは今でいう“コミュ障”そのものです。

 生きづらさを抱える孤独な青年が他者とのコミュニケーションに失敗するという、かなり現代的な話なんですね。

〈僕は是で男には大分ほれられる。女には容易に惚れられない〉

――教科書のイメージとまったく違いますね!

石井 コミュ障を描いているのに、〈親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る〉という書き出しなど文体のテンポが圧倒的によくてぐいぐい読ませます。コミュ障の人が心の中ではやたら威勢よくしゃべっている、というギャップがおかしくて切ない。

 名著だからと義務感で読むとあらすじをなぞるだけで終わってしまうかもしれません。“こんな面白さがある”というツボを押さえた上で丁寧に読めば、固定観念が覆されると思います。

 奥泉さんには『吾輩は猫である』のツボもお聞きしました。『吾輩は猫である』は、個人的に好きな作品です。漱石自身の人間関係が色濃く反映されているところが楽しい。椎茸を食べて前歯が欠けてしまう物理学者の寒月は、漱石の教え子だった寺田寅彦がモデルです。

 漱石は坊っちゃんのようにコミュ障な一面もあったけれども、若い人たちにすごく慕われていました。あまりにも訪問者が多いので面会日を木曜に限定したり、お父さんになってほしいとか熱烈なラブレターが送られてきたりしていたんですよね。〈僕は是で男には大分ほれられる。女には容易に惚れられない〉という言葉を門下生宛ての書簡に残しているほど(笑)。

 漱石の手紙といえば、親友の正岡子規宛てのものもいいですね。たとえば病の床についている子規に請われて、留学していたロンドンの街や人々の様子を文章で見事に写生してみせるくだりは心掴まれます。

『舞姫』は腹が立ってこそ、鴎外の術中にはまっている

――そうした角度からも作品に光が当たると、日本の近代文学の捉え方も変わってきますね。

石井 他にも興味深い例を上げると森鴎外。代表作の『舞姫』なんて、国費でドイツ留学をしたエリート青年・豊太郎が貧しい踊り子エリスと恋に落ちて、妊娠させたのに、見捨てて結局は単身帰国するという、今のジェンダー感覚にしたらあり得ないストーリーです。豊太郎に対して「なんだこの男は!」と腹を立ててしまうわけですが(笑)、平野啓一郎さんに「それはもう、鴎外の術中にはまっていますよ」と解説されて、目からウロコでした。つまり豊太郎は当時の様々な問題が凝縮された人物として描かれていて、エリスとの関係は個人を活用する近代国家のシステムによってなかったものとされてしまう、それで良いのか? と読者に問うている作品なんです。

 たしかに鴎外は平塚らいてうが新婦人協会を立ち上げる時にも協力していますし、樋口一葉や与謝野晶子を高く評価して後押ししています。平野さんは、鴎外が19世紀当時のドイツのフェミニズムの総会に出席した恐らく唯一の日本人であることも指摘していますが、そういう視点から読み解くと作品がまったく違う顔をもって立ち上がってきます。

二人の男に言い寄られ、結果出家する浮舟は「自立した女性」

――他にジェンダー問題を先取りした作品として『源氏物語』を挙げているのには驚きました。

石井 『源氏物語』って端的にいうと“実家の太いプレイボーイが女たちを泣かせる話”でしょう(笑)。描かれる女性像も、たとえば「宇治十帖」のヒロイン浮舟なんて、二人の男から言い寄られますが、どっちつかずで主体性がなく、読んでいてイラッとすらしてしまう。あげく男を決めかねて出家してしまうのは、なんで? と。

 ところが角田光代さんが、登場人物のなかで浮舟だけが男性に何も期待していない、すべてを奪われても誰にも所有されない個としてあり続けた女性だと解釈していて、ハッとさせられました。たしかに、身分の高い経済的にめぐまれた男性が助けてくれる、という期待が彼女にはまったくないんですね。他にも花散里と光源氏の関係は〈セックスレスだけれども仲睦まじい〉現代的な関係と読み解いていたりして、非常に新鮮でした。

 時代ごとに名著の読まれ方は変わります。谷崎潤一郎が読んだ源氏と、瀬戸内寂聴が読んだ源氏は当然異なりますし、いま角田光代さんはジェンダー、フェミニズムの視点から新たな魅力を浮き彫りにしている。優れた名著は読まれるたびにテキストとしての強度が増すことを実感しました。

「個の確立」には洋の東西を問わず、他者が重要な役割を果たす

――“他者との遭遇”という章立てで、国内外の近代文学を紹介していたのも興味深かったです。

石井 この章立てにしたのも、名著は単独で見るより横断的に比較すると、見えなかった繋がりに気づきやすいからです。

 たとえば、芥川龍之介『羅生門』の主人公は老婆という異質の他者に会うことによって、「急に近代人らしい内面を見せて〈個人〉に生まれ変わる面白さ」を、文芸評論家の阿部公彦さんが教えてくれました。かたやスタンダール『赤と黒』は、夫に従順なレナール夫人が「男よりもずっとパワフルで崇高な魂」を持つ存在になる“変身”を描いた小説として仏文学者・野崎歓さんは読み解く。

 つまり、近代小説における個の確立において、洋の東西を問わず、他者が重要な役割を果たしていることが分かります。

――意外な作品同士が並列化されていて新鮮ですね。

石井 さらにいうと、縦の比較でも思わぬ発見ができます。たとえばゲーテの『ファウスト』は恋愛譚の部分が有名ですが、実は「フィクションというお金が社会を動かすことを予見している」という重要なポイントを教えてくれたのが故・池内紀先生でした。ゲーテは財務局長を務めていたので、金(きん)などで作られた実体的なものでなくても、人々の期待や信用といった共同幻想で貨幣は成り立つことを見抜いていた。

『ファウスト』という色と金の物語が資本主義の本質を予見した一方で、ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の項では、資本主義が生まれた背景に、勤勉と禁欲を押し進めるキリスト教精神があったことが分かります。〈極端に禁欲的な個人の倫理が極端に強欲な資本主義を生み出した〉ことをえぐり出したのは社会学者の大澤真幸さんです。

 そして資本主義はいかに労働者を強固に搾取するシステムとなったか、仲正昌樹さんのマルクス『資本論』の解説で、現代のグローバル化した資本主義の本質を理解できます。こうやってこのガイドブックで名著の縦糸・横糸の軸を俯瞰するだけでも、知のマッピングが出来てそうとう面白いと思います。

ブックガイドの構成は、まさに書店のフェアの棚作り

――古今東西の名著がセンスよく散りばめられていて、まるでよく考え抜かれた本屋さんの名著フェアのよう(笑)。もともと書店員さんだった経験も生きているんでしょうか?

石井 ブックガイドの構成ってまさにフェアの棚作りに似てるのかも(笑)。最初に就職したのが八重洲ブックセンターで文芸書の棚の担当でした。文芸書が好きでしたから。

 その後浜松町のブックストア談、ネット書店のセブンアンドワイなどを転々とするんですが、本を読むことと同じくらい本を売ることが好きでした。ちょっとした仕掛けで本を沢山売るとか、効率よく在庫を入れ替える方法を考えたりするのが大好きで。もう絶版になると聞いた本を在庫全部仕入れて100冊売り切ったりとか、ホント楽しかったですね。

――書く仕事をするようになったきっかけは?

石井 ネット書店時代に、本の仕入れだけでなく著者インタビューのコーナーも担当していたんです。最初は編集みたいなことをやっていたのですが、上司に「自分でも書かないの?」と言われて、作家のインタビューをしてまとめるようになったのがライターとしての最初の経験です。その後、フリーになってからは豊崎由美さんの後押しもあって、「週刊文春」などいろいろな媒体で機会をいただき、インタビューと書評の仕事をやるようになって今に至ります。もうかれこれ17年くらいになりますね。

名著には、今を生きる力に直結する学びがある

――今回の本にも通ずるインタビューの醍醐味って何でしょう?

石井 投げかけた質問によって生まれる言葉って、生身の人間に向けて語ってくれるものだから、ダイレクトに熱が伝わってくるんですね。語り手が何を心から面白いと思っているか、何を本気で伝えようとしているのか。

『名著のツボ』の取材でいうと、みなさん本と真剣に向き合ってきて、深い知見を持っていらっしゃいます。連載の途中から新型コロナウイルスの感染拡大が始まって、名著にかこつけた人生相談みたいなこともしていましたね(笑)。先行きが見えない不安な状況を乗りきる手がかりがほしくて。感染症のような非常事態にも対応できる知のあり方として、アリストテレスの〈フロネーシス〉という概念を哲学者の納富信留さんが教えてくれたりして、今を生きる力に直結する学びも多くありました。

 名著は語られることによって新たな価値を帯びます。その瞬間に立ち会えたのが何よりもの喜びでしたし、その知的興奮と感動をとことん濃縮したのが『名著のツボ』です。きっと、読者のみなさんの人生にとって大きな意味をもつ一冊に会える最高のブックガイドですし、すでに読んだことのある名著なら新たな発見で、出会い直しもできるはず。ぜひ楽しんで頂けたら嬉しいです。


(撮影:文藝春秋/三宅史郎)


石井千湖(いしい・ちこ)

1973年佐賀県生まれ。書評家、ライター。早稲田大学卒業後、書店員を経て、現在は書評とインタビューを中心に活動し、多くの雑誌や新聞に執筆。著書に『文豪たちの友情』、共著に『世界の8大文学賞』『きっとあなたは、あの本が好き。』がある。

単行本
名著のツボ
賢人たちが推す!最強ブックガイド
石井千湖

定価:1,760円(税込)発売日:2021年08月27日

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