
サスペンス・スリラー映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックがアメリカ合衆国に渡り、最初に発表した作品が「レベッカ(Rebecca)」(一九四〇年)である。この作品で、彼は第一三回アカデミー賞の最優秀作品賞、撮影賞(白黒部門)を獲得した。二〇二〇年には、インターネット配信の映画だが、リメイクもされている。
映画は、主人公である「私」が物語るというスタイルではじまる。その「私」は、イギリスの大富豪と結婚して彼の大邸宅へ行く。その彼は前妻レベッカを一年前に亡くしていた。多くの使用人が仕える大邸宅の女主人となった「私」だったが、そこはいまだにレベッカの大きな存在感に支配されており、疎外感、恐怖で精神的に追い詰められていく。
主人公は「私」としてあり、名前の印象は小さいのに対して、「レベッカ」という名前が強調されている。実はこの名が「(その魅力で)束縛する」を意味していることを知れば、この映画の結末が暗示されているようで、より深く楽しめるのではないだろうか。
名前は肉体、人格、霊、影と同等のものだとしていたのは古代エジプト人だ。名前を記すことで永遠の存在が約束されるとして、記念物のそこここに象形文字ヒエログリフで残した。そして彼らの願いのとおり、数千年の時を経た現代でも、その人物が存在したことを世界中の人が知ることとなっており、名前によって生き続けている。
日本語でも「人は一代、名は末代」という慣用句がある。ほかにも「ない名は呼ばれず」「名をあげる」「名が売れる」「名が泣く」「名に恥じない」「名は体をあらわす」など、名前にまつわる言い回しは多い。
ゆえに、親は子どもたちに、将来を夢見て、最良の名前をつけようとする。あるいは、アフリカの一部地域のように、その子が生まれたその時を忘れないために、たとえば「税金」(税金を払いはじめたときに生まれたから)と名付けられることもあるという。
最近では、言葉の響きの良し悪しや漢字の形の見栄え、有名人やアニメのキャラクターにあやかって名付けられることが多くなってきたようだが、社会が安定していなかったり、移民問題や民族対立の渦中にあったり、篤い信仰をもっていたりする地域や家庭では、出自やアイデンティティを示す、あるいは反対に隠したりするなど、長い伝統を受け継いだ名前が少なくない。古くさい、堅苦しいイメージの伝統的な名前は、時代の流行や風潮などで一時的に忘れられることがあっても、必ずやその意味が問い直され、新たな意味づけがなされるときがくるように思う。
一一世紀に、北欧から移動を開始したバイキングたちは、極北の海を渡ってイギリス、フランスなどを侵略しただけでなく、ゲルマン起源の名前をイギリスにもたらした。ウィリアム、ヘンリーといった名前は、一般には英王室の伝統的な名前とされているが、実はバイキングの末裔によって英語名となったものだ。
いかがだろう。こうしてその名のはじまり、生まれた時代、環境にまでさかのぼってみたとき、そこにどのような意味が潜んでいるのかを探ってみることは楽しいものだ。
さて、人名を通して、世界地図にはどのような線が引かれ、色が塗られることになるのだろう。
(「はじめに」より)