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<エッセイ>宇山佳佑「羞恥心の向こうに」

<エッセイ>宇山佳佑「羞恥心の向こうに」

宇山 佳佑

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #随筆・コミックエッセイ

「別冊文藝春秋 電子版40号」(文藝春秋 編)

[Iの告白]

「こうなったら埋めちまうしかない」

 私にはそう思った経験が人生で三回ある。今回、その最初の出来事についてこの場で告白をしたい。

 私は小説を主なフィールドとして執筆活動をするしがない作家である。しかし元々は脚本家として作家人生をスタートさせた。

 脚本家になろうと決意したのは中学三年生の頃。当時、運動神経ゼロで、学力も絶望的、ただの小太りだった私は、ドラマばかり観て自堕落な日々を過ごしていた。録画した同じドラマを何回、何十回と繰り返して観る息子に、母は無論、泣いていた。

「勉強しないとビデオ捨てるよ!」と恫喝されたことも少なくない。そんなときは「はぁ!? 捨てたら親子の縁切るぞ!」と激昂。私はどうしようもないプロ愚息だった。

 そんなドラマ漬けの日々の中で「僕もこんな物語を書いてみたい!」と生意気にも思った。しかし当時はネットがない時代。脚本の書き方など知る術もない。

 だからお小遣いを握りしめて隣町の大きな書店へと向かった。そして店員のお姉さんに「あ、あの、脚本の書き方の本ってありますか?」と勇気を出して声をかけた。

 恥ずかしかった。「この子、脚本家になりたいのかしら」と思われていたらどうしよう。羞恥心で気絶しそうだった。

 しかもだ。あろうことか、お姉さんは本を渡すときに「頑張ってね」と言葉を添えた。今ならば夢見る少年へのエールであることは分かる。しかし思春期の小僧の心を砕くには十分すぎる破壊力だ。おかげで理性は完全に決壊。気づけば私は、家でおはぎを食べていた。どう帰ったのか、思い出すことはできなかった。

 なにはともあれ、教本を手に入れたことで執筆活動は本格的に幕を開けた。

 物語とは雨と同じだ。天から降り注ぐ神の恵みを取りこぼさないように掬い取ることが作家の役目だ……的な、どこかで聞き齧ったようなイタいことを思いながら脚本を書く毎日。私は自分のことを真の天才だと思っていた。伝説がはじまる――そんな予感がした。

 しかしある日のこと、私は今までにないほどの激烈な羞恥心で頭をぶん殴られた。

 お、お母さんにあの脚本を見られたらヤバくないか? ポエムも出てくるし。恋を空の青さに喩えたポエム。ていうか、あのポエムってよく考えたらめちゃくちゃダサいだろ。もし見られたら人生終わりだぞ……。

 私は走った。息を切らして学校から帰宅すると、日課である『あぶない刑事』の再放送を観ることもなく、原稿用紙を鞄に突っ込み、制服のまま再び家を飛び出した。

 このブツを捨てなくては! でもどこに!? 公園のゴミ箱? ダメだ! あそこは不良グループがタバコをふかしているゴミ溜めだ! あんな連中に見られたらこの街で生きていけない! 誰にも見つからないように処分するんだ!

 近所の裏山を見上げ、そして思った。

「こうなったら埋めちまうしかない」と。

 道なき道をかき分けて進み、泥だらけになりながら絶対に人が来ない場所までたどり着くと、私は犬のように手で穴を掘った。あの瞬間、自称天才脚本家は死んだ。犬以下のポエマーに成り下がった。私は自分という存在の恥ずかしさを雨の中で呪った。

 ……と、格好つけて黒歴史を語ったけど、振り返ればあの頃の羞恥心が今の僕を作った気がします。(普段は『私』なんて洒落た一人称は使いません。粋がってすみません)

 人は誰もが恥をかき、自らを戒めながら少しずつ大人になってゆく。羞恥心の向こうに成長があるのだと思う。しかし今はSNS等の出現で過去の恥が可視化されたまま、消すことのできない時代。そんな世の中に少しだけ息苦しさを感じてしまう。


うやま・けいすけ 一九八三年生まれ。神奈川県出身。小説家、脚本家。ドラマ「スイッチガール‼」「主に泣いてます」「信長協奏曲」等の脚本を執筆。著書に『ガールズ・ステップ』『今夜、ロマンス劇場で』『君にささやかな奇蹟を』『恋に焦がれたブルー』など。二〇一七年刊行の『桜のような僕の恋人』がTikTokで大きな話題に。最新刊は『この恋は世界でいちばん美しい雨』。

別冊文藝春秋からうまれた本

別冊文藝春秋 電子版40号 (2021年11月号)
文藝春秋・編

発売日:2021年10月20日

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