「飲食店を舞台にした新しい小説を書いてください」
編集者からの依頼を受けたとき、私の頭に漠然と浮かんだのは『異世界居酒屋「のぶ」』と『奥さまは魔女』でした。
『異世界居酒屋「のぶ」』は中世ヨーロッパ風の架空の街に普通の居酒屋が出現し、普通に営業を続けるというシュールな作品で、『奥さまは魔女』はアメリカの一九六〇~七〇年代の人気ドラマでした。
私は『食堂のおばちゃん』と『婚活食堂』という二つのシリーズで、かなり地域密着型の食堂小説を書いているので、現実と違う空間を舞台に、「奥様は……魔女だったのです」ならぬ「女将(おかみ)さんはゆうれいだったのです」という話を書いてみたくなりました。
いきなり発想がゆうれいに飛んでしまったのは、二〇一九年に母を亡くした経験が影響しているのだと思います。
母とは六十年間一つ屋根の下に暮らし、二人三脚でやって来たので、母を喪った喪失感は大きいだろうと思っていたら、意外にも「いつも一緒にいる」「いつも見守ってくれている」という気持ちになりました。あの世とこの世は別世界ではなく、地続きで、隣町くらいの近さだと感じたのです。
もちろん、これは還暦を過ぎたからこその感慨で、私も二十代の頃は死はすべての終わりだと思っていました。
というわけで、生前の恨み辛みを晴らすのではなく、懸命に生きる人たちを優しく見守り、時にはちょっとお節介をやいて助けてあげる、そんなお化けが出てくる居酒屋の話を書こうと思いました。そして、女将さんのみならず、居酒屋そのものもこの世のものではない設定にしようと、思い付きました。
こうして誕生したのが『ゆうれい居酒屋』です。
ただ、この世ならぬ居酒屋の出現する街は、馴染(なじ)みのある土地を選びました。
新小岩(しんこいわ)は子供の頃から映画や買物で訪れ、小学校時代は日本舞踊のお稽古(けいこ)にも通った土地なので、ルミエール商店街も庭のようなものでした。占い師のおじさんと仲良くなって、あんみつを奢(おご)ってもらったのも懐(なつ)かしい思い出です。
当たり前ですが、半世紀の間に新小岩も随分変りました。
これから現在の新小岩の街を舞台に、懐かしさと新しさを発見しながら、どんな物語を紡(つむ)いで行けるのか、作者である私自身、とても楽しみです。