近代日本の礎を築いた建築家・妻木頼黄(つまきよりなか)の闘い
「以前から江戸東京たてもの園を観たり、ヴォーリズの建築を観たりするのが好きだったんですが、数年前、自宅をリフォームする機会がありまして……それが想像以上にうまくいかなかったんです(笑)。建築現場では細かな瑕疵(かし)でも見逃してしまうと、後から決してやり直しがきかないのを実感しました。おそらく現代まで残っているような有名建築は、当時、途方もない知恵と労力を費やして建てられたものなんでしょうね」
明治維新後、西欧諸国に追いつくため、東京にはいくつもの洋風建築が建てられた。イギリスから招かれた建築家のジョサイア・コンドルや、彼のもとで学んだ片山東熊(かたやまとうくま)、辰野金吾らがよく知られているが、木内さんが本書の主人公として選んだのは、内務技師、大蔵技師という官僚の立場から、国家施設の建設に数多く携わった妻木頼黄である。
「幕臣旗本の長男として江戸に生まれた妻木は、唐津藩出身の辰野とは、見えていた景色が違っていたんじゃないかと思います。260年続いてきた江戸の美しい街並みが、新たに政に携わった薩長のよそ者によって、どんどん壊されていくことに、耐え難い思いをした人たちも少なからずいたはずで、妻木自身にもかつての江戸の風景を大事にしたいという気持ちがあったのではないでしょうか」
こうした彼の想いは、大審院や広島の臨時仮議院、旧日本勧業銀行の設計細部や、日本橋の装飾意匠、奈良の東大寺大仏殿の修復などへと託されていく。
一方、早くに両親を失い、17歳の時に初渡米、たったひとりで身を立ててきた妻木は、辰野のように学閥を作ることを好まなかった。
「妻木という人物は周囲からクールに見られていたし、孤独ゆえの超然としたところを実際に持っていた建築家です。ただ視点人物にするとなかなか感情移入しにくいし、長所も見えにくい。そこで作中では職人や親方たちの視点を用いることにしました。もちろん、彼も内面では熱いものを持っていたはずで、だからこそ僅か二週間という工期で、東京の議院と遜色ない臨時仮議院を広島に建てることもできたのでしょう」
歴史に名を残すことはないが、日本の伝統を受け継ぐ優れた職人たちの技術があってこそ、名建築が完成したということもできる。
「多くの日本人があまり知らない、明治時代の近代化というものを、妻木を通して改めて見つめ直してもらえるのではないかと思っています」
きうちのぼり 1967年東京生まれ。2004四年『新選組 幕末の青嵐』でデビュー。11年『漂砂のうたう』で直木賞。14年『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞。