- 2022.02.17
- 書評
佐々木愛効果の発動と結果
文:間室 道子 (代官山 蔦屋書店 書店員)
『プルースト効果の実験と結果』(佐々木 愛)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
表紙カバーの女の子を見て、すぐに青山裕企(あおやまゆうき)さんの写真だとわかった。内側から光を放ってくるかんじ。少女写真で有名な方で、写真集の何人かの子たちは教室で太ももをむき出しにしたり廊下で友達のスカートの中に頭をつっこんだり、エロティックなことをしている。けどいやらしさがない。ふつうのエロいフォトには「どうです! この子たち! いやらしいでしょ!」という撮る側の目線が見えるし、被写体は写真を手にした人間に一方的にさらされる。でも青山作品では見られることについて、女の子たちに主導権がある。誰にも侵されない純度の高いエネルギー。青山さんは少女の姿を通して、彼女たちが世界を見る明るさを撮っているのだと思う。
表紙写真はセーラー服の子がプールに背中から落ちていくところ。角度が絶妙で、時間が逆回転になり彼女がすうっと縁まで戻ってくるようにも見える。この子は落っこちるのかな? 浮上の途中かな? のすれすれを味わう。
いつも思うことだけど、誰にでもデビューはある。でも「この人の一作目」ではなく「デビュー作」という言葉の鮮烈さを持って世に出る作品は少ない。新人なんだからこのあと腕を上げていったでもいいじゃない、とも思うのだけど、「デビュー作」は称号なのだ。「この一作はどうですか?」以上の意味を持つ。書き手が作家として声をあげたことを世に問う。自分の存在を認めさせる。そんなとくべつな意志や力を持った新人の登場は、私にとって、天から降ってきたとしかいいようがない驚きや喜びがある。
新人作家には、うまい、へたを超えた「ちがう」を期待している。今までにないものが見たいのだ。「そんなの、早くデビューした人が有利じゃないか」と言われそうだけど、たとえば今から四十年前に誰かが「日本のどこにでもある貧困」や「未知のウイルス」を書いてますと言ったら、パラレルワールドかSFですか? となったと思う。書くべきことはいつの時代にもあり、テーマに向けるまなざしに「あとはもう二番煎じしかない」という限界はない。
佐々木愛さんのデビューとなる本書には「お話の筋が思い浮かんだから書いた」以上の広いところに出ていくかんじがある。自分をためすと同時に世の中をためしているような、新人独特の度胸、プライド、大胆さ、野心、純粋さ。タイトルの「プルースト効果」とは、香りからそれに関連した思い出が浮かぶ現象のこと。フランスの小説家プルーストが、大作『失われた時を求めて』で、主人公がマドレーヌを食べた時に昔の記憶がよみがえるシーンを書いたことから来ている。これにならって、私がシビれたところを「佐々木愛効果」と名付けようと思う。
表題作の主人公は地方の高校三年の女子で、彼女とともに小川さんという男子が登場する。大半の生徒が地元や近県の国公立を受け、東京の私立大学志望はクラスでは彼らだけだ。国公立用の理数系の模試なんかの時、ふたりは図書室で自習をすることになる。
佐々木愛効果の発動はまず「ミミミッピ」の一件。小川さんが自習中にとつぜん言い出したこれは、主人公も中学生のころから思っていたことだった。彼女は「メンポタシア」を教えてあげる。二人は相手のノートにこのおかしな二語を書く。そして、消さない。ここがいい! はじまりの予感。
そして小川さんはある日とうとつに、自分は勉強を始める前必ず「たけのこの里」を食べる、これをずっと続けていれば、入試当日このお菓子を口にすることで脳内にわ~っと英単語や中国歴代王朝が浮かんでくるはず、と打ち明ける。彼女の頭に、なぜ「たけのこの里」? 余裕があるように見えてたけど勉強に追い詰められてるの? をはじめ、彼への疑問および憶測が湧くが、この場面でそれ以上に伝わってくるのは、彼への関心だ。「好き」のはじまりって「知りたい」なんだよな、と読みながら思う。あたしは歌舞伎揚げがいいとか甘栗が好きなのよとか言わずに、彼女は彼に、自分は「きのこの山」で実験をする、と表明する。
さらなる佐々木愛効果は、この後の小川さんの描写だ。彼女にとっての実験初日の放課後、行きつけのスーパーを案内してもらうのだが、まだ明るい夕方の中、彼の「全身の輪郭がだんだんとはっきりしていった」とある。男子には校舎から出ると存在感が薄まるタイプと学外でいきいきし始めるタイプがある。小川さんは後者なのだ。そしてこの時間の女性客を「ご婦人」と呼び、スーパーの中をよそ見もせずチョコレート売り場までだれにもぶつからず移動していく彼の姿は「お客さんというよりもベテラン店員のように見えた」。主人公そして私は、もはや彼に夢中だ。
「はあ?」の人もいるだろう。それのどこがかっこいいの? なぜこんなことで好きになるの? という声が聞こえてきそう。主人公もそれをわかっている。だから、マキ、タマオ、カナという親友がいるけど彼のことを話さない。十代の恋愛には、「町内の中心で愛を叫びたくなる」と「親友にも秘密」があるのだ。
「わたしにだけわかる小川さん」の底にあるのは、彼と自分は「ペア」だという確信だ。若いって、いきなり根拠のない自信に満ちるもの。女の子の頭に浮かぶのは夢の国のネズミたち。あの二匹に破局はない。さらに「たけのこの里」と「きのこの山」。お菓子売り場で100%隣同士。
その後小川さんは、プルースト効果を言い出したのと同じ唐突さで彼女にある提案をする。そこからふたりはまた変なことを始めるのである!
東京の地図に印をつけていく。まず彼が「花園神社」、彼女が「上野動物園」。そして、東京タワー、世田谷区役所、六本木の映画館、自由が丘スイーツフォレスト、靖国神社、エジプト大使館前、雷門、彼の志望校、乃木神社、フリーメイソン日本支部……。東京在住の私には見慣れた地名や場所が、ものすごく新鮮に見えてくる。高校生ふたりのわくわくするまなざしが読み手に乗り移るのである!
若々しさって、馬鹿馬鹿しさによく似た意外性と滑稽さ、そして悲しみが付きもの。後半主人公に訪れる、とくべつなものがありきたりに染まっていくときのなすすべのなさがすごくフレッシュ。
全部で四話収録されており、重要なテーマは主人公が一人では見ることのできなかった眺めがほかの誰かによって開かれ、それに魅了されること。相手と自分の網膜がまじわり、退屈で平凡な風景が生気を帯びていく快楽。ほかにも物語ではいろんなものがまじりあう。
二話目の「春は未完」では、写真部の青山さんのもとに日頃文芸部によくいる赤坂さんがやって来て、「きのう青山、赤坂という女の子が出てくる小説を読んだ。東京都心の名を持つ彼女たちは『シティガールズ』と呼ばれている。わたしたちも結成しませんか」と言い出す。大人しい赤坂さんだが青山さんと二人でいるときは饒舌。東京の大学に行けたらルームシェアをしよう、外壁は紫だといいよね、青と赤を混ぜたら紫になるから、というせりふが印象的だ。青山さんはいつしか赤坂さんの夢に呑まれていく。
三話目の「楽譜が読めない」のお話のメインストリームは別なところにあるのだけど、私が佐々木愛効果を感じたのは音楽。主人公の女の子は高校に入学したてで、スマホで見る都心の巨大なスクランブル交差点の空と自分がいる田舎町の空が繋がっていると実感できないでいる。でもある日、「スクランブル交差点のネオンがひとつひとつ灯っていくように、空がどんどん色づいて、少し東京が見える」。ある曲を聴いたから。また、彼女の親友となったフルートを習う少女がいる。この子のあこがれの男子がシークレットライブをやるという情報を得て、女の子ふたりは公園に行く。親友が手にしているのは差し入れの手作り弁当でもラブレターでもなくフルートだ。彼がセッションしようと誘ってくれるかもしれないから。気持ちより先に音がまじりあう関係を想像する、清らかさ。
四話目の「ひどい句点」は女子大学生と年上男の物語で、主人公は彼と体を重ねても心を含みあう関係にはなれない。男がまた体のつながりを求めてこないように、自分がいつか心もと期待しないように、彼女は彼とひどいまじわりをする。
口の中で溶けあった「たけのこの里」と「きのこの山」は、紫になった青と赤は、夢見た合奏の音は、不倫の夜は、もとの状態に戻せない。なのに自分はいつのまにかひとり。四つの物語の後半は、翳りを帯びた目で女の子が見る世界の絶望がみずみずしく描かれていく。始末の付け方の主導権は、傷つけた側ではなく痛みを負った者にある。落ちるの? 浮かび上がれるの? のすれすれで、彼女たちは前を向く。
これまたよく言ってることだけど、私の考えでは、青春小説とは学校が舞台だったり主人公が少年少女だったりだけではない。読み手をそのど真ん中に連れて行ってこそ。「なつかしいなあ」ではなく、私は本書の読書中、青春のただなかにいた。新鮮な一冊に出会えたことに感謝する。
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