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目標は、名人。奨励会の少年たちの熱き戦いから、目が逸らせない…

目標は、名人。奨励会の少年たちの熱き戦いから、目が逸らせない…

WEB別冊文藝春秋

綾崎隼「ぼくらに嘘がひとつだけ」#007

出典 : #WEB別冊文藝春秋
ジャンル : #小説

奨励会ではじめてできたライバル。
けれど、すでに彼は僕のはるか前を歩いているような気がして……


第二話

〈長瀬京介〉

 奨励会の入会試験で朝比奈千明を迎え撃った当時、僕は4級だった。
 新入会員の千明は6級からのスタートであり、例会の対局数は平等である。しばらくはリードを保てると思ったのに、半年もせずにあいつは僕を追い越していった。
「天才。神童。次世代の名人」
 研修会に入った頃から、僕は最上級の称賛を浴び続けてきたけれど、必然のように、周囲の注目は、快進撃を続ける友人へと移った。
 悔しくないと言えば噓になる。ただ、それで千明と険悪になるなんてことはなかった。

 あいつは嫉妬しない。陰口も言わない。自分が一番強いと信じているからだ。
 幾つもの小学生大会で優勝していたから、かつての僕は散々、ねたそねみの対象になってきた。しかし、千明だけは絶対にそういった視線を向けてこない。
 もちろん、一緒にいれば呆れることもある。
「最強の天才」と自称して憚らない姿は、正直、馬鹿みたいだと思う。けれど何かと言動は鼻につくものの、そういう個性も嫌いではなかった。
 きっと、「馬が合う」というのは、僕らのような二人に使う言葉なのだろう。

 僕の憧れの棋士、竹森稜太名人は、小学生で初段になっている。その後、中学二年生の三月に【十四歳と一ヵ月】で四段となり、史上最年少棋士になった。
 3級で停滞している僕は、既に比較に値しないペースになってしまったが、千明はわずか一年で1級まで駆け上がっている。
 最年少記録を決める上で基準になるのは誕生日である。
 竹森名人は二月生まれであり、僕と千明は六月生まれだ。
 三段リーグは半年スパンで開催され、基本的に昇段は九月と三月に決まる。そのため、同じ中学二年生でプロになれたとしても、僕らは最年少記録を更新出来ない。前半の九月に昇段を決めても、記録は【十四歳と三ヵ月】になるからだ。

 将棋連盟の記録ページを見つめる千明の顔に、珍しく影が落ちた。
「金字塔を打ち立てたいなら、中一で四段にならなきゃいけないってことか」
 改めて計算してみると、竹森名人の凄さがよく分かる。
「そうなるね。そのためには中学一年生の九月までに、三段に昇段しなきゃいけない。それでも記録を更新出来るチャンスは一回だけだ」
「例会って初段から規定が変わるよな?」
「持ち時間が伸びるよ。だから対局数も一日二局に減る」
 級位者は例会日に、一局につき一時間の持ち時間で、三局を戦う。段位者になると、持ち時間は一時間半に伸びるが、代わりに対局数は二局になる。
「昇段条件も変わるね。最短でも八連勝が必要になる」

 1級までの昇級点には『六連勝』というものがある。例会は月に二回あり、一日に三局戦えるから、最短だと一ヵ月で昇級が可能だ。ただ、その条件が、初段と二段になると『八連勝』に変わる。最短でも二ヵ月かかるわけだ。
 昇級を繰り返し、2級を越えたあたりから、千明も連勝が伸びなくなってきた。
「八連勝の次の条件は、十二勝四敗か」

 ホームページに掲載された奨励会規定を読みながら、千明は左の拳を握り締めて小さく揺らしていた。真剣に考えている時のこいつの癖である。
「現実的な目標はこれだな。単純に四ヵ月は見た方が良さそうだ」
「逆算するなら、中学一年生の五月までに二段に昇段出来ないと厳しいってことだね」
「それなら、もう京介は無理じゃないか?」
「僕は初めから竹森名人の記録とは戦っていないよ。千明がムキになっているだけでしょ」

「二月生まれは卑怯だよな。あっちは中二の三月にプロになったのに、俺が半年前にプロになっても勝てないんだぜ」
「まあ、記録っていうのは、そういうものだから」
「せめて、あと一年早く奨励会を受験しておけばなぁ」
「千明なら四年生で受験しても受かっていただろうしね」
「だろ? 焦る必要ないって母さんに止められたんだよ。落ちたらショックを受けるから、もっと実力をつけてからにしなさいって。あのアドバイスは無視するべきだった。お前は一年生から研修会員だもんな。やっぱり環境って大事だよ」

 千明は本気で「最年少記録」を狙っているのだろう。実際、それを目標として語っても恥ずかしくないだけの成績を今日まで残している。ただ、現実的に考えるなら、六月生まれの僕らには、極めて難しいミッションと言わざるを得ない。

 

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