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西村京太郎の名作『東北新幹線殺人事件』の知られざる“執筆秘話”…鉄道ミステリーの巨匠が「慌てて書き直した」犯人の脱出経路はどこ?

西村京太郎の名作『東北新幹線殺人事件』の知られざる“執筆秘話”…鉄道ミステリーの巨匠が「慌てて書き直した」犯人の脱出経路はどこ?

西村 京太郎

『西村京太郎の推理世界』より #3

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #小説 ,#エンタメ・ミステリ

「朝6時に女の声で不審な電話があったんです」山村美紗が自宅で襲われた…ミステリー作家・西村京太郎が推理した“意外な犯人像” から続く

 2022年3月3日、91歳でこの世を去った作家・西村京太郎。「十津川警部」シリーズで親しまれ、鉄道ミステリーの第一人者としてヒット作品を次々と書き上げた同氏の軌跡は、『西村京太郎の推理世界』(文春ムック)にまとめられている。

 ここでは同書に収まりきらなかった記事を特別に公開。西村京太郎が「オール讀物」2011年5月号に寄稿した新幹線の“忘れられない思い出”とは――。(「西村京太郎と山村美紗の対談編」から続く)

◆◆◆

西村京太郎が初めて新幹線に乗った日

 昭和39年10月1日、日本初の新幹線は、東京と大阪間で開通した。私が京都へ向かうために、新幹線を初めて利用したのは、その翌年、昭和40年のことだ。オール讀物推理小説新人賞、江戸川乱歩賞を受賞し、作家の道を歩みはじめた私に、京都の女性とのお見合いの話が持ち込まれた。この機会に、時速200キロを超える高速鉄道を体験しようと思ったのである。

 当時、まだ新幹線は「贅沢な」乗り物だと言われていた。単なる移動であれば、東海道線でも充分だという人もいて、実際、車中に乗客は少なかった。しかし、ほとんど揺れを感じないし、座席もゆったりとしている。この快適さを体験してしまうと、普通の鉄道にはもう戻れない(以来、京都や大阪はもちろん、全国の移動で新幹線を使い続けている)。

新連載の取材で「リニア・鉄道館」に訪れた際の西村京太郎 ©文藝春秋

 唯一、混んでいたのが、ビュッフェ車両。私も列に並び、ライスカレーを注文した。流れていく車窓の景色を眺めながら、食べるカレーの味は特別だったように思う。その後、ビュッフェはなくなってしまったのは惜しいことだ。

 

 京都駅では、見合い話を世話してくれた、先輩女流作家の方が、ホームの真ん中で出迎えてくれていた。当然、私がグリーン車に乗ってくるのだと思っていたらしい。

 それに気づき、乗ってきた先頭車両から車内を走り、グリーン車から降りたように見せかけたのだが、嘘はすぐに見抜かれた。あの日、見合いが不首尾に終わったのは、そのせいだったのかもしれない。

西村京太郎の“新幹線ミステリー”失敗談

 やがて、私は鉄道ミステリーを書くようになった。新幹線を題材にした作品も手がけ、取材のため、東海道はもちろん、秋田、山形、上越、長野、九州まで、ありとあらゆる路線に、年間、幾度となく乗っている。

 新幹線に乗ると、席に落ち着く間もなく、犯人の脱出、身代金の受け渡し、死体の隠し場所などに使われる可能性のある箇所を、まずはくまなく調べる。窓や扉の大きさ、荷物棚の高さ、通路の幅、トイレや電話の位置も細かくチェックすることにしている。

 というのも、過去に失敗談があるからだ。30年ほど前、東北新幹線開通のタイミングに合わせた、長編小説の書き下ろしを、ある出版社に依頼された。面白そうだと、引き受けたものの、執筆時期にはまだ東北新幹線は走っていない。想像で書くしかなく、犯人を非常口から脱出させた。

 だが、実際の東北新幹線の客車には非常口が設置されていなかったのだ。指摘を受けて慌てて書き直し、出版されたのが、『東北新幹線殺人事件』である。ちなみに、この本は、天知茂さんの十津川警部役でテレビ化され、高視聴率も記録した。

瑞枝夫人とのツーショット ©文藝春秋

 現在の新幹線には、客車に非常口がないという。けれど、初めて乗った時は、確かに、車両の中ほどに備えつけられていたはずだ―この記憶が間違いでないことが、この春、取材で訪れた名古屋の「リニア・鉄道館」に置かれた、0系新幹線でわかった。JRに尋ねたところ、開業以来非常口が使われたことがなく、必要性がないと判断されたらしい。ほぼ半世紀、事故を起こさない新幹線のすごさには、本当に感心させられる。

 

 もうひとつ、新幹線のすごさは、その運行時刻の正確さだ。私の小説の犯人たちも、皆、予定通り電車が走るものとして、犯行計画を立てる。列車が、いつ来るか来ないか知れないギャンブルのような運行をするのだったら、私は、鉄道トリックを使ったミステリーを、まったく書けなくなってしまうだろう。

 今、私の仕事場からは、東海道新幹線が見える。執筆中でも目線を上げると、それが見えるように、あえて、三階建てに設計してもらった。いつも規則正しく、どんな日も休まずに走る、新幹線を見ることが好きなのだ。

新幹線の前で満面の笑みを浮かべる西村京太郎 ©文藝春秋

しかし、2011年3月11日の東日本大震災では……

 しかし、その光景が、ある日、完全に止まってしまった―あの3月11日、東日本大震災の日のことだ。毎日、当たり前のように見過ごしていたことが、いかに大切な日常だったのかを改めて知った。幸い、東海道新幹線はすぐに元通り走るようになった。そのふつうの光景が戻ってきたことにほっとする一方で、東北のことを考えると胸が痛む。

 実は、2011年は新幹線の取材を、これまで以上にこなす予定だった。九州新幹線が全線で開通し、東北新幹線は青森までついにつながった。飛行機嫌いの私にとって、北は青森から、南は鹿児島まで新幹線で移動できるなんて、夢のような出来事だ。特に、「はやぶさ」には新しい車両も投入されたと聞き、早速、試すつもりで、各出版社とも話をしていた。

 震災でこれらの計画は、延期としていたが、最近、東北方面の鉄道復旧の話題も届けられるようになってきた。鉄道が通るようになることは、人々の生活が戻ることでもある。一日も早く、新幹線が東京から青森の間を、全線でつなぐ日がきてほしい。私自身、それに乗車する日を、本当に心待ちにしている。

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電子書籍
西村京太郎の推理世界
文藝春秋・編

発売日:2022年04月06日

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