モーツァルトを集中的に演奏するようになってから、ドイツ歌曲への関心を強めているという藤田さん。とりわけ、最近はシューベルトに夢中だとか。シューベルト作品の特異性に迫ります。
モーツァルトを集中的に演奏するようになってからというもの、わたしは歌曲、とりわけドイツ・リート(歌曲)への関心を強めています。
同じドイツ・リートでも、シューマンとシューベルトを比較するとまた面白いですね。シューマンの曲は、こちらを刺してくるような「痛み」がにじむ。クララへの恋慕といった、作曲家の想いがストレートに表現されています。わたしはそういった創り手の自意識が前面に出すぎているものには、少し戸惑ってしまうんです。以前、好きな小説についても同じようなことをお話ししましたね。
対してシューベルトの歌曲というものは、概して客観的、かつ構築的なのです。たとえば彼の曲には、同じメロディ、ハーモニーが繰り返されながらも、1番と2番で歌詞が異なるものがいくつかあります。まるで現代のJ-POPのようなつくりですが、当時はこれが珍しかった。歌詞の変化にあわせて、ハーモニーの意味合いまで異なるものに聞こえるのです。これは相当な客観性とバランス感覚がないと成立しないですよね。
シューベルトは1797年に生まれ、1810年頃から作曲の才能を開花させました。1800~1810年というのは、ベートーヴェンがもっとも旺盛な創作活動をしていた時期。つまりシューベルトは、偉大な作曲家が音楽のすべてをやり尽くしたとされた、「ベートーヴェン後」の時代を生きた人なのです。否が応でもベートーヴェンを意識せざるを得ず、実際、同時代の作曲家たちの多くが彼の影響を強く感じさせる楽曲を発表していくなか、シューベルトはまったく独自の作曲様式を築き上げています。そのようなシューベルトの音楽への向き合い方に、わたしはとても惹かれるのです。
シューベルトの特異性というものは、彼の交響曲にいちばん表れていると思います。シューベルトの交響曲は、生前は演奏されることすらほとんどありませんでした。彼の死後、シューマンが楽譜を見つけて日の目を見るわけですが、ベートーヴェン後に自分は一体何をすればいいのかと思い悩んでいたシューマンにとって、シューベルトのオリジナリティ溢れる作曲法は希望になったのではないでしょうか。
シューベルトの作品は、交響曲でもピアノ曲でも、まるで歌曲のように情景がくっきりと浮かび上がってくる。極めて複雑なハーモニーと、複数軸で奏でられる旋律、それらすべてに意味が込められているように感じます。
この続きは「WEB別冊文藝春秋」でどうぞ
-
ピアニスト・藤田真央「わたしのプログラムづくり――理想の音を捜し求めて」
2022.06.09特集 -
ピアニスト・藤田真央「スカラ座デビュー! ”ポリーニ以来”と評された一夜」
2022.05.09特集 -
ピアニスト・藤田真央「刻々と変容する世界、その中でわたしがピアノを弾く意味」
2022.04.18特集 -
世界を熱狂させる若き天才ピアニスト・藤田真央。濃密な1万字インタビュー
2022.03.23インタビュー・対談 -
世界のクラシック音楽シーンを更新し続ける23歳、藤田真央。トップピアニストの初連載「指先で旅をする」スタート!
2022.03.23特集 -
透明ランナー「越後妻有 大地の芸術祭 2022」――広大な里山に囲まれたアートを巡る
2022.06.22コラム・エッセイ
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。