- 2022.09.07
- 文春オンライン
才能は「遺伝」と「環境」どちらによるものか? 女流棋士の“取り替え”計画に2人の子どもが抱いた違和感とは
白鳥 士郎
白鳥士郎が『ぼくらに嘘がひとつだけ』(綾崎隼 著)を読む
出典 : #週刊文春
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
底辺に生きる女流棋士の独白。この小説は、将棋界の生々しい現実を読者に突きつけるところから始まる。
幼少時から将棋が得意だった朝比奈睦美は、一度は看護師として働き始めるも夢を諦めきれず、年齢制限の迫る25歳で女流棋士になった。しかし厳しい勝負の世界で落ちこぼれ、30歳を目前に引退。結婚にも失敗する。
離婚後に妊娠が発覚した睦美は自分の人生が「詰んだ」と絶望するが、そこに女流棋士時代の同期である梨穂子が現れる。プロ棋士の娘という恵まれた環境で育った梨穂子は、現役時代に睦美が憧れていたプロ棋士・長瀬厚仁の子を宿していた。将棋の才能を持たない睦美は、生まれた我が子にせめて「恵まれた環境」を与えるため、恐ろしい計画を思いついてしまう……自分の子と、梨穂子の子を、取り替えるという計画を。
やがて成長した二人の子供たちは、引き寄せられるかのように将棋の世界で出会い、そしてお互いの境遇に違和感を抱いていくのだが……。
著者の綾崎隼は電撃小説大賞出身。いわゆるライトノベル・ライト文芸と呼ばれるジャンルでデビューしたが、現在は活動の場を一般文芸の世界へ広げている。そんな綾崎の作品を愛読する将棋関係者は多く、SNSに感想をアップする女流棋士も存在するほどだ。本作はスマッシュヒットとなった『盤上に君はもういない』に続く2作目の将棋小説だが、トップ棋士である佐藤天彦九段への公開取材を行うなど、より深く将棋という題材を知った上で書かれている。
ライトノベルはキャラクター文芸とも呼ばれるが、そこで培った経験により、実に魅力的な登場人物の数々を著者は創造する。強さを求める彼ら・彼女らは世間一般から見るとあまりにも利己的だが、不思議なことに誰一人として憎めない。他者への嫉妬や己への絶望といったどす黒い感情を抱こうとも、将棋に対する思いだけは真っ直ぐなままだからだろうか。過去作と比べて人物造形の幅は明らかに広がっている。将棋界の人間と実際に接する過程で、これまでの綾崎作品には見られなかったタイプのキャラクターが生まれたのだとしたら、これほど幸福な出会いは稀だろう。
将棋界は才能の世界といわれる。ではその才能は「遺伝」と「環境」のどちらによるものか? そんな永遠の謎に「取り違え」というテーマを絡める発想は実に見事であり、単純な将棋小説に収まる作品ではない。そして『ぼくらに嘘がひとつだけ』というタイトルにある「嘘」とは……読み終えた瞬間、あまりにも美しい作意に私は投了した。ライトノベルの世界に居続ける者として綾崎の成長を誇らしく思うと共に、取り残される焦りや寂しさもある。かつての同業者が嫉妬するほどの傑作だ。
あやさきしゅん/1981年、新潟県生まれ。2009年、電撃小説大賞〈選考委員奨励賞〉を受賞し、メディアワークス文庫より『蒼空時雨』でデビュー。他の著書に『君を描けば嘘になる』『死にたがりの君に贈る物語』『盤上に君はもういない』など。
しらとりしろう/1981年、岐阜県生まれ。ライトノベル作家。著書に『りゅうおうのおしごと!』など。
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