宮沢さんは、出会った頃、ノートに、とてもかわいい手書きの文字で、台本を書いていた。
「僕の字は、いしいひさいちの字とまったく同じなんだ」
と、自嘲と自慢が微妙に入り混じった感じで、宮沢さんはおっしゃっていた。そう、四コマ漫画に添えられている字っぽいのである。
とっておけばよかった。ひしひしとそう思う。あの手書きの台本。
劇作家である宮沢さんの作品を「台本」と書くには訳がある。
宮沢さんといえば、わたしにとって「コントの人」だった。
初めて『ラジカル・ガジベリビンバ・システム』を見たのは、上京してすぐの頃だった。自分の大好きなシティボーイズや竹中直人さんら、先鋭的な笑いをやるパフォーマーの方々がつどって長めのコントをやる、という漠然とした情報のみでラフォーレ原宿まで観に行ったのだが、じんじょうでない衝撃をうけた。明らかにコントの形でスタートするのだが、短いコントが終わる寸前に、別のコントが始まり、流れるように、とぎれることなく、コントは姿を変え、またもとのシチュエーションに戻ったりしながら、うっすら全体に筋のようなものが見え始めた頃、唐突に終わる。それまで見た、どんなものよりもおもしろかった。演芸、演劇、映画、小説、音楽、漫画、すべてを含めたなによりも。
しかし、出来上がったものを称するには、コント、と呼ぶしかないのだ。それほど笑えるのである。
演者よりも作者のことが気になった。宮沢章夫、初めて見る名前だった。
気になって気になりすぎて、恋をしているような気分になった。どんな姿をしているのだろう。どんなふうに話すのだろう。どんなものを見たり読んだりして育ったのだろう。二、三本見るうち、これは「会わなければしょうがない!」という気持ちになった。そして会えた。わたしは、上京して三年目。大人計画を作ったばかりで公演もしていない。見た目も中身もプータローだ。なのに、会えた。ばかりか、次の宮沢さんの芝居に出してもらえることになった。その頃、宮沢さんはまだ世に出ていない若手を使って芝居をやろうとしていたのだった。その若手集団の中には、のちに漫画家になる安彦麻理絵もいた。
稽古始めに一〇枚ほどの手書き台本のコピーを手渡された。そこから先は、みんなにシチュエーションを与え、即興で芝居を作っていく。俳優が言葉に詰まると、宮沢さんが口伝えでセリフを与える。それで、シーンは俄然面白くなる。刺激的だけど、素人のわたしには、恐怖の連続だった。
それから、急転直下で人生が変わった。
二〇代の終わり頃、二年間一緒にラジオをやらせてもらった。宮沢さんがコントを書き、わたしと松尾貴史さんとふせえりさんで演じる。そういう番組があった。
宮沢さんはラジオ局の打ち合わせ室で、ゆっくりタバコをふかしながら、コントを書く。わたしたちは録音ブースで無駄話をしながら、仕上がるのを待つ。できあがれば、すぐにコピーし、一度読み合わせをしたら、マイクの前でもう本番である。
あの原稿も手書きだった。一週間に五分のコントを五本やっていたから、一分一枚として、二年間で二五〇〇枚近くの原稿を書かれたはずだ。
わたしは、あの現場でコント作りの基本を徹底的に、勝手に、学んだ。あの原稿も、とっておけばよかった。
ラジオコントのおかげで、わたしはなんとか食えるようになった。温水洋一と二人で『鼻と小箱』というコントユニットを作って、単独ライブもやった。ツアーもした。めちゃくちゃうけた。この二人で『冗談画報』に出た。フジテレビの深夜枠にやっていたこのバラエティは、若手のお笑い芸人、演劇人、バンドの登竜門として知られ、サブカルチャーに手を染めた若者には垂涎の番組であった。『鼻と小箱』は、学園祭に呼ばれるくらい人気が出た。ただ、素の喋りが二人ともまったくできなかったので、テレビに出ると撃沈するのだった。
それから三〇年以上、わたしは笑いの沼にはまり続けている。
静かな演劇方面に宮沢さんが移行し始めてから、じょじょに疎遠になってしまった。
だから、そこから先の宮沢さんは「戯曲」と呼ばれるものを書いていたはずだが、わたしは、それに触れていない。わたしと宮沢さんの間にあったのは、あくまでも「台本」なのだ。宮沢さんはどんどん学問の人になっていき、笑いにはまったままの自分は、少し寂しい気持ちで、その背中を見ているだけとなった。
それでも、何年か前はラジオに呼んでくださり、そのために、最近の芝居のビデオを見てもらって、「あいかわらず野蛮だね」と言われたのは、やっぱりすごく嬉しかった。
訃報を聞いたのは九月一三日のこと。
そのとき、わたしはたまたま久しぶりのコント番組のために、コントを書いていた。わたしは、なんにもお返しができていないことを噛み締めながら、書き続けるしかなかった。
師と呼べるのは、生涯宮沢さん一人だ。
本当にありがとうございました。お疲れ様でした。
僕の字、見たことありますか? 宮沢さんの字に少しだけ似ているのです。
(初出「文學界」11月号)
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