- 2022.12.05
- 文春オンライン
会えるのは週に一度「母親が団地で男と密会しているとき」だけ…自由に愛し合えない少女二人の“はかない関係”のゆくえは
山崎 まどか
山崎まどかが『光のとこにいてね』(一穂ミチ 著)を読む
少女から大人になるまで。長きに渡る二人の女性の愛の物語だ。裕福な家に育ち私立の小学校に通う結珠(ゆず)とシングルマザーの母親と暮らす果遠(かのん)は、7歳のときに運命的な出会いを果たす。結珠の母親が「ボランティア」と称して謎の男性に会いに来た団地で、5階のベランダの手すりから身を乗り出している果遠を見た結珠が、地上から果遠に向かって両手を伸ばしたのだ。まるで抱きとめるからここに落ちてきて欲しいと願うかのように。
社会的な階級の違う二人だが、母親のせいで孤独なところはよく似ている。結珠は母親の冷ややかな態度に不安を感じている。果遠の母親は美しいが強引で社会性がなく、自分のせいで娘が学校やコミュニティで孤立しているのにも気がつかない。週に一度、結珠の母親が団地で男と密会しているときだけ、彼女たちは会うことができる。二人は強く惹かれ合うが、大人の都合に左右される少女同士の交流ははかない。結珠と果遠はすぐに会えなくなってしまう。
「光のとこにいてね」という印象的なタイトルは、7歳の果遠が結珠に待っていてくれるように頼むときの言葉だ。結珠が連れ去られても、果遠は光のあるところに彼女がいると信じている。果遠は幾多の困難を乗り越えて、結珠と再会を果たす。しかし結珠と果遠はいつもお互いの家族の都合で離れ離れになり、大人になって二度目の再会を果たしたときにはお互いに結婚している。同性同士だからというのではなく、彼女たちが自由に愛し合うことができないのにはいつも理由があるのだ。二人を縛りつけているものは何だろうか。背後に、自分で人生の舵を取れず、それによって生じたカルマを娘たちに押し付けるそれぞれの母親の歴史が垣間見える。母親たちも自分を取り巻く環境から逃げ出すために必死に戦った結果だから、それが切ない。
結珠と果遠の関係性は抗いがたい運命のように見えるが、実のところ二人は流砂のように彼女たちを呑み込もうとしている運命に抗っていて、そこから抜け出す原動力こそが「一緒にさえいられれば」何もいらないというお互いに対する想いなのだと感じさせる。出会いのときに結珠がはっきりと果遠に手を伸ばしたことからも分かる通り、二人の関係は、ままならない人生の中で初めて自分たちで選び取ったものだ。二人はそれぞれ別種の強さをお互いの中に見出す。何も持たない果遠にとって結珠は希望の象徴だが、自分が愛されていない娘だという意識を強く持っている結珠は、自分を仰ぎ見るような果遠の一途な気持ちが恐い。それでも愛されること、愛することを選んで、彼女たちは自分を苦しめてきた負の連鎖を断ち切ろうとする。果遠の目には遠くに見えた光が動いて、彼女をめがけてまっすぐ走ってくるようなラストが印象的だ。
いちほみち/2007年『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。『イエスかノーか半分か』などボーイズラブ小説を中心に発表し支持を集める。21年刊行の『スモールワールズ』が本屋大賞第3位、吉川英治文学新人賞を受賞。近著に『砂嵐に星屑』など。
やまさきまどか/1970年東京都生まれ。コラムニスト。著書に『優雅な読書が最高の復讐である』『真似のできない女たち』など。
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