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季節はめぐる。つられて、私も歩き出す。一歩、一歩。俳句と一緒に。

季節はめぐる。つられて、私も歩き出す。一歩、一歩。俳句と一緒に。

神野 紗希

『もう泣かない電気毛布は裏切らない』(神野 紗希)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #随筆・エッセイ

『もう泣かない電気毛布は裏切らない』(神野 紗希)

 あとがき

 夏も終わりに差しかかったころ。洩れくる朝日に目覚めた息子が、こんなことを言った。

「人は変わらないけど、季節は変わるの?」

 箴言めいたひとことにドキッとする。どうしたの、夢の中で誰かに教えてもらったの? と聞いても、にこにこして、もう「つみきでゴジラ作ろうよ」と興味が移っている。

 人は変わらないけど、季節は変わる。言われてみればそうかもしれない、と頷く。定点としての私たちが、移ろいゆく季節に触れて、その接点に小さな感動が生まれる。過ぎ去る刻をなつかしみ、眼前の光景に驚き、訪れる未来を心待ちにする。その心の揺れが、たとえば俳句のかたちをとって言葉になるとき、世界は素晴らしいと抱きしめたくなる。生きて、新しい何かが見たいと思う。

 昨年、日本経済新聞夕刊のエッセイ欄プロムナードの連載を担当したことをきっかけに、これまでの散文をまとめてみようと思い立った。約十年間書きためてきた、俳句と暮らしの交差点。その間に、学生だった私も、結婚し、母となった。ライフステージの変化を踏まえて時系列に並べることも考えたが、全体の構成は、俳句らしく、季節ごとに組むことに。おおらかな季節のめぐりの中で、呼吸しながら生きてきた実感を、ゆるやかに反映できていたなら嬉しい。

 日本経済新聞社文化部の干場達矢さんには、執筆の折々にアドバイスをいただき、言葉には宛先があることを教わった。同じく文化部の村上由樹さんは、プロムナードを送稿するたび丁寧に感想をくださり、半年を書き抜く励みとなった。書籍化を担当してくださった日本経済新聞出版社の苅山泰幸さんは、同郷の愛媛出身というご縁。瀬戸内の海光を共有する心強さたるや。装丁のアルビレオさん、イラストレーターのカシワイさんは、言葉では表現しきれない余白をくみ取って鮮やかに可視化してくださった。そして、まだ駆け出しのころに連載をもたせてくださった愛媛新聞社をはじめ、これまでに場を与えてくださった方々、読んで励ましてくださった方々のおかげで、ここまで書き続けてこられた。お世話になったみなさまに、あらためて深くお礼申し上げたい。

 息子も三歳になった。言葉と生きてゆく楽しみを知りはじめたようで、扇風機の強弱ボタンをいじりながら「そよかぜ、あらし、たいふう~」と風を形容したり、入道雲を見つけて「夏だねえ、ステゴサウルスみたいな雲」と俳句風の報告をしてきたりする。夜、眠る前には「起きたら、何する?」。ほんとだねえ。明日は、どんな出来事が待ち受けているんだろう。

 季節はめぐる。つられて、私も歩き出す。一歩、一歩。俳句と一緒に。

 

 二〇一九年九月 野分晴の朝日の中で    神野紗希

 


 文庫版あとがき

「みえるひかりは、つよくてあついけど、かぜやくうきは、もうすずしいね」。日差しの照りつける八月の終わり、自転車を漕ぐ道すがら、息子が言う。その感慨はまさに、〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行〉ではないか。「昔、君の今の言葉とおんなじように、秋が来るのは、目でははっきりと分からないけれど、風の音にハッとするなあって、歌にした人がいるんだよ」と伝えると、「ぼくのほうがすごいよ! ふたつ、きづいたんだから。かぜも、くうきも!」と、少しムッとしている。名歌に張り合うとは、なかなかいい度胸だ。

 刊行当時は三歳だった息子も、もうすぐ七歳。どこへ行くにもベビーカーだったのが、今では自分でランドセルを背負って小学校に通っている。私も、引っ越して少々身辺がすっきりしたほかは、変わらず、俳句を作ったり読んだりして暮らしている。

 かつて〈消えてゆく二歳の記憶風光る〉と詠んだが、大人の記憶も薄れやすい。読み返して、書き残さねば忘れてしまっただろうあれこれが、今も言葉の中に息づいていることを懐かしく思う。同様に、今、当たり前の日常だとやり過ごしている出来事もみな、時が経って振り返れば、もう二度とは戻ってこない懐かしい瞬間なのだろう。

 歳時記には、天の川や雪嶺といった悠大な季語と並列して、燕やたんぽぽ、林檎や檸檬、セーターや炬燵など、日常身辺をささやかに彩る季語があふれている。小さなものたちもまた、実は銀河や山河と同様に価値あるものであり、詩にするに足るものだ。些細に見える日常にも、命の光はひしめいている。俳句とはそうした発見の哲学を備えた、身ほとりを愛おしむ詩である。ならば、私のささやかな散文も、俳人としての生き方のひとつの実践というわけだ。

 文庫化を企画・編集してくださった文藝春秋の荒俣勝利さん、単行本に引き続いて表紙の絵を描いてくださったカシワイさんに、この場を借りて厚くお礼申し上げたい。そして、いつもにぎやかにインスピレーションをもたらしてくれる、我が家の小さな俳人にも。

 

 太陽がぎんいろに光る冬のはじめに

 

 二〇二二年十二月    神野紗希

文春文庫
もう泣かない電気毛布は裏切らない
神野紗希

定価:902円(税込)発売日:2023年02月07日

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