河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)と聞いてただちに思い出すのは、「自由律」の俳人だということ、そして代表作と言うべき「赤い椿白い椿と落ちにけり」の一句。今日の世人の文学的常識としてはせいぜいそんな程度か。「赤い椿……」が名句であることはすぐにわかる。これは上五が六音の字余りになっているだけの定型句とも言えるが、「赤い椿白い椿と」という散文的な畳みかけには、因習的な定型音律をはみ出した清新なしらべがあり、また詠まれた光景も視覚的に鮮烈で美しい。
だが、初期から最後期まで、俳人碧梧桐の作品の全体を見渡してみると、そこには、ほんのちょっぴり規矩からはみ出しただけのこんなおとなしい一句をはるかに超える、過激な実験性が溢れていたことがわかる。その全容を明らかにし、異才が敢行した文学的冒険の意味と価値を改めて顕彰した野心的な労作が本書だ。
「写生」概念を梃子として近代俳句の礎を築いたのは正岡子規だが、その子規の後継者二人、高浜虚子と河東碧梧桐のうち、俳壇の本流になっていったのは、俳誌『ホトトギス』を主宰した虚子のほうだった。題材は「花鳥諷詠」、音律は伝統的な五七五、そして季語と「や」「かな」等の切れ字を俳諧の本質的二要素とするという虚子の詩学が、今日の俳句を支配しているのは周知の通りだ。
それに対して、五七五の枠組みをぶち壊し、季語も切れ字も不要とする「新傾向俳句」を提唱し、かつ実践した碧梧桐の試みは、傍流にとどまり、しかもそのかぼそい流れもいつしか途絶えてしまったかに見える。なるほど「咳をしても一人」の尾崎放哉や、「うしろすがたのしぐれてゆくか」の種田山頭火がおり、今日なお多くのファンに愛誦されてはいる。しかし、こうした詩法の始祖と言うべき碧梧桐の実作は、実は放哉・山頭火よりずっと過激な「表現の永続革命」(本書の副題を借りるなら)であるのに、「赤い椿……」の一句のみを例外として他はすっかり忘れ去られている。
本書に漲っているのは、こうした現状に対する石川九楊氏の義憤である。その義憤ないし公憤の激しさとともに、もう一つ、本書を意義深い批評的達成たらしめているのは、碧梧桐の俳句を彼の個性的な書と緊密に関係づけつつ論じるという、書家の石川氏ならではのアプローチである。
『中國書史』『日本書史』『近代書史』の三部作は、引かれた線、打たれた点を身体運動のなまなましい痕跡(石川氏はそれを「筆蝕」と呼ぶ)として読み解いた驚くべき大業である。その達成を踏まえ、石川氏は、歪み、誇張、不均衡をものともしない碧梧桐の奔放な書のうちに、この不羈(ふき)の俳人の革新的な発語意識の露出のさまを透視し、かつ聴取してゆく。日本語表現における文字の決定的な役割を再認識させてくれる、スリルと刺激に満ちた批評の書だ。
いしかわきゅうよう/1945年、福井県生まれ。書家。「筆蝕」の分析・考察から書論、文明論を展開してきた。『書の終焉』『筆蝕の構造』『中國書史』『日本書史』『近代書史』など著書多数。
まつうらひさき/1954年、東京都生まれ。詩人、小説家、批評家。『名誉と恍惚』『人外』『秘苑にて』『黄昏客思』など著書多数。
こちらの記事が掲載されている週刊文春 2019年12月19日号
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