- 2023.04.17
- コラム・エッセイ
1980年代のスピリチュアル運動と新宗教運動について
小森 健太朗
『駒場の七つの迷宮』(小森 健太朗)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
1960年代から1970年代にかけて、大学では学園闘争、左翼運動が吹き荒れた時代である。そのあたりの学生運動の話は、これまでかなりの評論で論じられてきたし、小説作品としても柴田翔『されどわれらが日々――』をはじめ、大江健三郎や高橋和巳や笠井潔の作品として描かれてきたところでもある。ところで私が大学生活を過ごした1980年代は、左翼運動や学生運動はあったものの、前面に出てきていたのは宗教の勧誘活動の方であった。それは1990年代になって、オウム真理教事件という禍々しい形で世間に具現化していくことになるが、ある意味でこれはひと世代前の学生運動が浅間山荘事件やよど号ハイジャック事件に行き着いた左翼運動の経緯と相似形をなしているのではないか。そのようなことを、オウム真理教事件の派手な報道をみながら私は考えたことがある。
実際に私の生活圏においては、オウム真理教はそんなに離れた出来事ではなく、今でも覚えているのは、大学に入学した1984年の秋に東大の駒場キャンパスで開かれていた学園祭に、オウム真理教がデモンストレーションをしに来ていて、学内サークルと連携して講演会を開催していたことである。その学園祭で浅田彰と中沢新一という、当時ニューアカデミズムのスターとしてもてはやされていた二人の著名人の対談イベントがあり、両者の思想に興味をもっていた私は聴衆の一人としてこの対談を聴いた。浅田彰は後に、チベット密教などに由来する東洋の神秘思想などを頭ごなしに否定するようになるが、この対談の時点で中沢となごやかに語っていた内容では、中沢が『チベットのモーツァルト』や『虹の階梯』で提唱している神秘主義思想への深い共感と讃歌が基調になっていて、私は感銘をうけた。その講演が終わった後、その当時からオウム真理教の存在に関心をもっていた私は、そちらも聴きに行こうか迷ったが、そちらに誘ってくれる友人はいなかったので行かずじまいだった。もしそのときに私の背中を押す知人か友人がいたら、私はオウム真理教の講演を聴きに行った可能性は充分にあったし、その後の分岐する人生ルートとして、オウム真理教の信者になっていたルートは、自分の中では無視できないほどにリアリティがある人生行路として可能性はあった。
当時の若者は、中沢新一のチベット密教を讃える本を読んで関心をもち、オウム真理教に入信していたものが少なからずいたらしいと聞く。そして1980年代後半の時点では、ニューアカデミズムの旗手とうたわれた浅田彰も、中沢新一の盟友として、間接的にその流れを後押ししていたという印象がある。浅田は、この時代の自分の言説については、今はどう考えているのだろう。
実際のところ、直接の知り合いとして、オウム真理教の信者だった人と出会ったのは、地下鉄サリン事件が起きて、教団が強制捜査を受けて解散命令をくらっていた後の年代だったので、リアルタイムで80年代から90年代前半にかけての同教団の動向を詳らかに知っているわけではないものの、信者だった知人を介して、その生活様式や信仰形態について、相当程度に詳しい知見を得ることができた。
また、昨今話題になっている統一教会の布教は、私が大学生だった時代には、とにかく盛んで、大学に行くと、ビラを配る勧誘員が大勢いて、しょっちゅう勧誘を受けていた。同じクラスには統一教会の信者になったのがいて、その教団から連れ戻そうと家族が奔走している話などを目の当たりにして、それもまた身近に感じていた教団である。私が東大にいた時代に、東大生で切れ者の統一教会信者がいるという噂を聞いたことがあったが、これが私とほぼ同年代で東大に入学していた仲正昌樹であったのは、後でわかったことである。その後一度仲正昌樹と対談する機会があったが、これもまた妙な運命の巡り合わせであると感じた。