- 2016.06.26
- 書評
東大の同級生作家が語る、「ぼくのお薦めミステリ百冊を読破した未須本君」
文:小森 健太朗 (作家・評論家)
『推定脅威』 (未須本有生 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
私の知っている人の中で、未須本くんは、異彩を放つ才人である。
著者ご本人よりじきじきに筆者が指名をいただいたのは、「この作品は学生時代に小森くんとの交友がなかったら書けなかった」という理由があるからだそうで、作品そのものの内容を解説するには私より他にもっと適任者がいるだろうという気がするが、年来の知己である立場からの解説を求められたのだから、個人的な思い出話をまじえて書くことにしてもよいだろうと思い、引き受けることにした。
私が著者と知り合ったのは、同じ年に入学した大学のサークルを介してであるが、最初の自己紹介のときに私が言ったことが彼に強烈な印象を与えたらしい。実を言うと私の方では、その自己紹介のときのことはあまり覚えていないのだが、「江戸川乱歩賞の候補に最年少でなりました」とか言ったようだ。そのことは私の自慢のタネなのでたぶん自己紹介のときに喋ったのだろうと思うが、彼は私に「その原稿を貸してくれ。読ませてくれ」と頼んできて、私は手元にあった手書きのコピー原稿(『ローウェル城の密室』の手書き版)を貸した覚えがある。私が自己紹介のときにその経歴を喋ったことは何度かあるが、たいてい「ふうん」と流されることが多く、「これはすごい」と思ってもらえる場合はそんなに多くないが、彼からはどうやら私はそのように思ってもらえたようだった。
大学で知り合ったサークル仲間には、何人かミステリをよく読んでいる人たちがいた。ミステリ評論家である鷹城宏氏とか、コレクターとして有名な「猟奇の鉄人」さんなどである。未須本くんは、彼らほどではないが、クリスティなどの海外ミステリ作品にはそれなりに通じていた。私はそんな彼に「君はクリスティは知っているようだが、それだけでは足りぬ。アントニー・バークリーなども読みたまえ」と勧めたりした。私がそんな勧め方をした人間は、彼以外にも何人かいた覚えがあるが、彼の場合、実際に勧められたものを読んできて、「勧められたとおり読んだ。本当にバークリーは素晴らしかった」というものだから、私の方でかえって驚いたりした(こんなに、人の勧めを真に受けるヤツがいるかよ……!?)。もっとミステリの名作を知りたいとかいうので、私が「お薦めミステリ」を百冊だかそれくらいリストにしたこともある。松本清張賞贈呈式に呼ばれて行ったときに、そのとき読んだミステリが自分が小説を書くことに役立ったと感謝されたので私は「あのときリストにしたものをまさか全部読んだのか!?」と驚愕した。そんなに私の言うことに耳を傾ける人間がいること自体がオドロキである。
彼と一緒に、本郷通り沿いや神田の古本屋を回ったことがあるのも思い出す。私が下宿していた近所に、今はないF書店という古書店があり、そこには私の興味を引く人文書がかなり置いてあり、棚の一角にはハヤカワポケットミステリなどミステリの古書もどっさり置かれていた。そのF書店で、ミステリの古書の値付けをするのを手伝ったりしたこともあり、その本屋で彼を相手に古書の蘊蓄を語ったりしたこともある。ある日彼と別の古書店に行ったときに、棚にエリザベス・デイリイの『二巻の殺人』が置いてあった。実をいうと私は数日前にF書店で、その『二巻の殺人』を買っていて、「短期間にまたこんな稀書に遭遇するとは」と私がいうと、未須本くんが「それは珍しい本なのか?」と訊いてくる。「ハヤカワポケミスでいま絶版でレア度が高い本のひとつだ」と私は解説した。「海外古書ミステリのレア本の三巨頭は、この『二巻の殺人』とペイジの『古書殺人事件』とセイヤーズの『ピーター卿乗り出す』だ」とまで解説したような気もする。セイヤーズはその後創元推理文庫から新訳が刊行されるが、1980年代半ばの時点では、1960年代に刊行されたセイヤーズの翻訳書は、レアで古書価が高くついていたものだ。すると彼は「じゃあぼくも買う」と言って、その本屋で『二巻の殺人』を買っていたのを覚えている。
彼からはまた「小森くんを通してプログラミングの本質を把握して学ぶことができた」という思い出話を聞かされた。彼がいうには、大学に入ってから初めてコンピューターでのプログラミングをやることになり、それがどういうものかうまく飲み込めず苦戦していたところ、私から聞かされた言葉によって本質が把握できてわかるようになったという。私が言ったのは「プログラミングというのは、単なる計算ではなく、ひとつの言語から別の言語へと翻訳するようなものだ。だから新たに文法を学ぶ必要がある」というようなことだったようだ。この言によって彼はプログラミングへの理解が一挙にひらけたと言っていた。私はその彼の思い出話を聞いたとき、内心苦笑を禁じ得なかった。その件については私の方でも記憶していて、たしかに彼に、大学の情報教室でそんなことを言った思い出がある。しかし私は別にプログラミングに通じた理系人間ではなく、当時文三生として受講していた「コンピューター数学」という授業に悪戦苦闘していた学生だった。その授業で出された課題をこなすために下手なプログラムを自分で組もうとしていたりしたものだから、「プログラミングというのは、翻訳の作業みたいなものだね」という発言が出てきたのだと思う。その言が、発言者の私の意図を超えて、彼に本質直観と本質把握をするのに寄与し貢献したことになる。こういう現象を何と表現すればよいのだろう。出藍の誉れ? いや違う。私が触媒となって、彼の中で予期せぬ化学的変化が生じたようなものである。
……こんなことを書いていると私は彼にもっぱら教える側にいたかのようだが、そんな一方向的なものではなく、彼は、私が交流した人の中でもトップクラスの博学な知見の広さを有していて、多くのことを彼を通して学ぶ機会をもった。
以上のエピソードから彼の人物像は、ある程度、彼を直接は知らない読者にもイメージが形成できるのではなかろうか。博学な知識と多方面への関心をもち、多方面にわたって優秀な才気を発揮していて、また彼が認めた存在からは学ぶ態度をもっている。その学びがときとして、教える側を超えて、非常な変容をもたらすことがある。その最良の成果といえるのが、ここに彼がこうして上梓したこの作品だろうと思う。
とは言いつつ、この小説を初めて読んだときには正直驚いた。筆者のよく知っている彼が、いつの間にかこんな小説を書けるヤツになっていたとは――! というのが最初の率直な感想であるが、同時に、この表現する能力をもってすれば、こんなに実地の経験と知識に裏打ちされた強みをもつ小説家は、この国にそうそういない、そういうアドバンテージをもっていることを思い知らされた。著者は実際に航空機の設計に携わってきた、実地の経験をもつものとして、外からの取材だけでは到底知り得ないような内情を知る立場でこの題材の話を書くことができる。その強みは、たとえ読者が著者の経歴を知らずにこの小説を読んだとしても、充分に実感できるところがあるのではなかろうか。
ものを書く立場にたってみた場合、知らない業界の話を書く必要にせまられると、いろいろと困難に直面する。取材をして勉強をすれば、その業界についての情報を得ることはできるから、その情報をもとに、想像をまじえてその業界の様子を書いたりはできるが、その内部にいるものにしか書けないことがらというものがあって、それはその業界の内実を主題的に書いている箇所よりはむしろ、非主題的な日常描写や背景のさりげない記述にあらわになる。何気ない日常の気分や何気ない一言が、その世界の内部にいるものにしか出せないものだったりする。この小説を読んでいて、随所にそういう箇所がちりばめられているのを感じた。
その人物が生きている世界には、その世界なりの色分けがあり区分があり、態度や姿勢がそれぞれに異なり、丸山圭三郎の言葉を借りれば、その住む世界に応じて人はそれぞれに〈言(こと)分け〉をしている。その世界の内実を知らないものが書くときに直面するのがそういう〈言分け〉を書く困難さであり、読む側としては、そういう非主題的な〈言分け〉の描写にリアリティや説得力を感じる。この小説を読めば、著者の経歴を知らずとも、この業界のことを内部から著者がよく知って通じていることが、おのずとわかることだろう。
この小説の主要人物である倉崎は、まったくそのままではないにしても、著者自身の人となりが濃く反映された人物造形がなされていると見受けられる。その倉崎が、頭脳明敏なヒロインと、謎をめぐる推論などで冴えた会話をかわしているのが、この作品の最大の読みどころにあげられるのではなかろうか。筆者が見聞きした範囲でも、彼が楽しそうに他の人と冴えた会話を展開していることもあれば、ものわかりの悪い相手にいらだったりしていたこともあり、小説内の冴えた女性パートナーというのは、たぶん著者のひとつの理想と願望の反映だろうと思えるところがあり、読んでいて微笑を禁じ得なかった。
小説には〈何を書くか(What to Write)〉と〈いかに書くか(How to Write)〉という面があり、航空機業界に身を置いてきた未須本氏が、小説にできる材料となる経験をもっているのは知っていたが、それだけでなく、本書を読めば著者が〈いかに書くか〉についてもすぐれた能力を身につけているのがわかるだろう。著者の言によれば、筆者との交流を通してそれを学んだ面があるそうだが、より正確には、好奇心旺盛で多方面にアンテナをのばしている彼の学びの姿勢、そして貪欲に吸収できる彼の学習力の高さがそれを彼に得させたのだと思う。大学時代にこのような著者と知りあえたことは、筆者にとっても大いなる幸運であったと思う。本書を通して、作家・未須本有生の作品が多くの人びとに伝わることを願いたい。
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