一つの会社の営みというものがいかに私たちの暮らしを大きく支え、また変えゆくかと、日ごと思いを深めている。
アメリカのグーグル、アップル、フェイスブック(現・メタ)、アマゾンのGAFA──あるいはマイクロソフトを加えてGAFAM──に代表される急成長を遂げた巨大IT企業らは、たしかにインターネット時代の寵児であり、デジタル化の波にいち早く乗った覇者であったといえる。ただし、誰よりも先んじた分、成功の果実を得るとともにリスクを負うことにもなり、前途に翳りが見え始めたばかりか、その途端に、多くの従業員の解雇に踏み切るという、企業経営において最も避けなければならない選択肢にあっさりと縋るに至った。そして、彼ら巨大IT企業の日本法人にも、リストラという名のもと、働く人びとの暮らしと尊厳をいともたやすく奪う事例が現出している。
日本の企業史にも、従業員に退職を迫ることで経営の危機を乗り切ろうとした例は数多とある。他方、このようにもいえるのではないか。GAFAのような世界中に知られるグローバルIT企業が二十世紀の終わりからこの二十一世紀の初頭にかけ、陸続と生まれることこそなかったものの、焦土と化した先の大戦の時代を経ながら、浮利を追わず、従業員の雇用を守り、顧客と地域、取引先との長年の信義を重んじて、真っ正直な商いをこつこつと重ねてきた会社は、この日本に決して少なくないのではなかろうか。経営の哲学や理念を守りながら、百年を超えて歩みを重ねてきた長寿企業が日本には世界でも稀なほど多いことはよく知られている。
さはさりながら、バブルと呼ばれた景気が文字どおりうたかたと消えて低迷した一九九〇年代以降の日本は「失われた十年」と語られ、ついには「失われた三十年」と、自信喪失と無為無策を諦め顔で認めるような形容がなされてきた。たとえば、大学新卒者の初任給の水準は、この三十年、ほとんど変わらないといっていいほど上がっていなかった。非正規雇用を後押しする政策が推進され、生活の水準もまた、公平に上向いていくようには見られなかった。同じころ、これらを克服する唯一の方途であるかのように、しきりに見聞きしたのが「デフレ(物価下落)からの脱却」との謳い文句である。物価の上昇を歓迎する生活者がいるのであろうかと、単純な疑問は行きつ戻りつしていた。
縁あって、月刊『文藝春秋』を発表舞台に、各地の会社を訪ね、経営者やそこで働く人びとの日々の姿を垣間見る旅を始めることになった。期せずして、世界が大きく変わりゆくただなかで、日本の会社のありようを、その瞬間に生きるひとりとして、いくつもの視点から目撃し、書きとめる機会を与えられた。
少子化と高齢化、そして人口減が同時に進む、先進国の中で初めての動態変化を迎えている日本で、会社それぞれに、経営者、働く人、また顧客と、暮らしを守りゆく努力の結晶のような軌跡を描いていた。実直であることは各社に共通していて、さらに、しぶとく、あるいはしたたかに、独特の企業文化によって歴史を重ねている。
このたび、改めて一冊に編むにあたり、登場者の年齢や肩書、社名や経営にまつわる数値などは掲載時の発表原稿の表現どおりに所収するのを原則とし、加筆や改変は最小限にとどめた。そのうえで、参考までに伝えるべきであろう現況についてのみ、必要に応じて文末に追記として補った。経営トップをはじめとする証言者たちの肉声は、息遣いそのものとともに長く残されうるものであろう。働く人びとの姿は、私たちの毎日の写し絵とならぬであろうか。会社ごとに濃淡ある独自の取り組みは、その時代をさまざまに、かつ雄弁に伝えて色あせない。
なお、煩瑣になるのを避けるためというただ一つの理由から、本文中の敬称は略させていただいた。ご海容を賜りたい。
日本の会社の、おそらくは世界でもそう多くはないであろう創意工夫に満ち満ちた現実の、喜びと苦労にあふれた歩みの物語を、肩の力を抜いてご覧いただけたら、たいへん幸いである。
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