TBSの演出家として「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー一族」などを手がけた久世光彦さん。そのドラマのなかでは、昭和の歌謡曲やフォークソング、アメリカのポップスから小学唱歌まで、誰かが口ずさんでいました。
もし、人生最後の五分間に一曲だけ聴くことができたら、どんな歌を選ぶか――。久世さんの14年にわたる連載から選りすぐった決定版『ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング』から、「アラビヤの唄」をご紹介します。
アラビヤの唄
こんなことを考えるのは、私だけだろうか。私の死がついそこまでやって来ているとする。たとえば、あと五分というところまで来ている。そんな末期の刻に、誰かがCDプレーヤーを私の枕元に持ってきて、最後に何か一曲、何でもリクエストすれば聴かせてやると言ったら、いったい私はどんな歌を選ぶだろう。目はもう見えない。意識も遠退きかけているが、聴覚だけがわずかに残っている。しかし、時間がないから一曲だけである。その歌に送られてどこか遠いところへ行くわけである。これは慎重に考えなければならない。ちあきなおみが好きだったから、思わず「さだめ川」と口走って、イントロで思いなおし、慌ててひばりの「港町十三番地」と叫んでも、もう遅い。
どんなシチュエーションで死ぬかだって判らないが、少しは見栄もあろうから、「イゾルデの愛の死」のアリアにしようかと思う。好きだったには違いないし、あいつはワーグナーを聴きながら死んだと言えば聞こえもいい。でもやっぱり、これは私の人生では五番目あたりではなかろうか。ラスト・ソングともなれば、もっと正直にならなければいけない。おなじオペラでも、プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」、その中の「私の好きなお父さま」の方が幸せでいいかもしれない。「眺めのいい部屋」という映画のタイトルにも使われていて、とても好きだった。すると今度は、「アルハンブラの思い出」というギターの曲が思い浮かぶ。――だいたい、一曲だけというのが無理な注文なのだ。
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ずっと以前からこんなことを考えていたわけではない。五十の声を聞いてからのことである。平均寿命がずいぶん延びたとは言え、そろそろ先行きの残り時間を勘定しはじめる頃合なのだろう。自分が死ぬときの光景なんか、若いときは想像する趣味がなかった。しかし、このごろは考えるのである。いったい、どの程度思い通りに生きて来られたのか、それさえよく判らないくせに、あるいはこれから先だって、みっともなくジタバタするに違いないくせに、何とか最後のときぐらいは絵になって死にたいと思うのは、あながち私が生まれついてのロマンチストというだけではあるまい。
たとえば季節、西行さんは花の下の春がいいと言っているが、ガラス障子の向うに小雪が降るのを眺めながらというのも悪くない。秋、時雨の音を聴きながらというのだって、いかにも人生っぽくていいかもしれない。あるいは私の枕頭に駆けつける顔触れ、あいつの顔だけは見たくない、あの女にはもう一度会いたいけれど、こんな際にはちょっと具合が悪い。という風に、馬鹿なことでもいろいろ考えていると際限がないので呆れる。まあそんな呑気なことを言っていられるのも、いまのところ体に取り立てて不自由なところがないお蔭だから有難いとは思うのだが、それならそれで、何をあくせくの日々の中、ほんの束の間の暇つぶしに、〈マイ・ラスト・ソング〉でも考えて、いざというときに備えようかと思うのである。
と言うのは、〈最後の食卓〉と違って、五十年かけて聴いたり歌ったりした歌というものは、あまりに数が多すぎて、一つはおろかベスト・テンを選ぶのだって迷いに迷いそうである。歌と言ったって、歌謡曲もあれば童謡もある。讃美歌だって歌である。パティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」を聴けばいまでも涙が出るし、杉並第一国民学校という私の小学校の校歌を兄と二人で口ずさめば、あの顔この顔、次々と浮かんでくる。もう死んでしまった奴、行方の知れない奴――時代が変わればその都度の人の数だけ歌があり、ところ変わればまた一つずつ歌がある。まして、死ぬときに耳元で聞こえる歌ということになれば、それは私の人生そのものということになるかもしれない。無人島へ持っていく一冊の本とは訳が違う。〈あなたは最後に何を聴きたいか?〉自分で言い出しておきながら、これはとても厄介な質問である。
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誰かに訊いてみる手もあろうというので、ほぼおなじ世代の小林亜星さんに電話をかけてみる。一晩考えさせてくれという。気軽には答えられないというのである。思案するだけ理屈っぽくなってつまらないからと即答を迫ったら、専門家はしばらく唸って「アラビヤの唄」かな、と独り言みたいに呟いた。はじめて覚えた流行歌で、それから今日まで、何かにつけて一人で歌いつづけているそうである。なぜかと言われると困るけど、やっぱり「アラビヤの唄」だそうである。《砂漠に日は落ちて/夜となるころ/恋人よなつかしい/歌をうたおうよ……》。フィッシャーという人の曲で、わが国では二村定一が昭和のはじめに歌っている。亜星さんが聴いたのは昭和十三年ごろ、五つか六つのとき新宿のカフェだったというから、そんな子供のころから、そんなところへ、とびっくりしたら、叔父さんがカフェを経営しているきれいな女の人といっしょになって、ときどきお父さんに連れられて行ったのだと聞いて安心した。亜星さんによれば、そこできれいな女の人が注いでくれたシャンペン・グラスのオレンジ・スカッシュが一生を決めたという。赤い灯、青い灯と白粉の匂い、そして行くたびに手巻きの蓄音機から流れていた「アラビヤの唄」、これが人生だと思ったというから恐ろしい五歳の童子ではあるが、なるほどとも思う。亜星さんの華麗な人生のどの刻にも似合うように思えるのである。どっちが先かは判らないが、亜星危うしの報せを聞いたら、「アラビヤの唄」を持って駆けつけよう。
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というわけで、これからいろんな友達にも質問しながら、〈マイ・ラスト・ソング〉を探してみよう。五十年と言えば半世紀である。何かに追われるように、心ばかり急いて走ってきたような気もする。たいした節目もなく、うろうろ迷いながらきたような気もする。もしかしたら、最後の歌を尋ね歩くことで、その辺がいくらか見えてくるようにも思えるし、人生というものはそれほど簡単なものではないとも思う。結局は、最後の一瞬、とにかく帳尻を合わせなければならないときになって、何かが判るのだろう。
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