僕は一九八七年に関西大学に入学して、八八年に軽音サークルに入ったんですが、サークルの縦型社会に嫌気がさしてすぐに辞めて、辞めた仲間と一緒にジャズ研究会を立ち上げました。そこで僕が弾いていたのはウッドベースで、大学二回生の頃にはベースでいわゆる「バイショウ」=ギャラをもらう演奏の仕事をするようになっていた。当時はバブルだったので、週三回ぐらいベースを弾くと月収十万円ぐらいになったんです。大学四回生になって、このまま音楽を仕事にするかどうかかなり迷ったんですが、やっぱり高校の頃からやりたかった社会学の研究に進もうと決めました。僕、リズム感はそんなに悪くないと思うんですけど、音程がダメで、フレットがないコントラバスは練習してもなかなか上手くならない。自分は音楽の才能ないんやなと。それで、卒業してからベースを一回やめて、後輩に売ってしまった(後に買い戻すんですが)。ちなみに僕らが立ち上げたジャズ研は今も残っていて、プロのミュージシャンも輩出するわりと名門のサークルになっています。
研究の道へ入ろうと決意したものの、大学院の入試に落ちてしまい二年間、大学院浪人しました。その間、勉強しつつ生活のために日雇いの肉体労働をずっとしてました。金も所属もなく、つきあった女性にもすぐふられる。音楽仲間との関係も切れてしまっている。どこにも行き場所がない、人生で一番しんどい時でした。その頃の自分の心の支えになっていたのが、ジョアン・ジルベルトです。
ジョアン・ジルベルトのギターと歌に救われた
ボサノヴァとジョアン・ジルベルトに出会ったのは大学三回生の頃。僕は今はもうない梅田のライブハウス「ドンショップ」で毎週金曜日、ピアノトリオで演奏してたんですが、そのトリオでドラムを叩いていたのが大森秀斗史さん。『東京の生活史』で僕がお話を聞いた人です。ブラジル音楽が大好きな大森さんから、ボサノヴァを叩き込まれました。「ジャズのトリオでボサノヴァをやる時は、8(ビート)になったらあかん、ボサノヴァは2ビートやねん」「スルド(ブラジルの打楽器)のリズムで、余計なことはせんと一度、五度、一度、五度と弾いてくれれば良いから」と。大森さんに勧められてブラジル音楽を聴くようになって、トッキーニョ、ジョイス、アントニオ・カルロス・ジョビン、バーデン・パウエルなどいろいろ聴きました。ボサノヴァはサンバのリズムが元になっているから、パゴージ、エスコーラ(・ヂ・サンバ)などのサンバもたくさん聴いた。その中で一番はまったのがジョアン・ジルベルトでした。
大学院浪人中、ジョアン・ジルベルトのギターをコピーしようと思って、当時出ていた赤い表紙の楽譜集(『ジョアン・ジルベルト・スタイル ボサノヴァ・ギター奏法』)でひたすら練習しました。朝五時に起きて、建設現場に行って、帰ってきてから飯食って、大学院受験のための英語、ドイツ語、専門の勉強、古典を読んで、自分の論文も書いて、その合間に楽譜集を導きにギターの練習をするという毎日です。
その頃弾いてたこのガットギター(写真2)は、じつは大学のジャズ研のボックス(部室)にあったもので、誰のものかわからないんですよ。誰にも弾かれずほこりをかぶってたのを勝手に持って帰って、いわば三十年間ずっと借りパチしてる。大事に使ってますので、もし「僕のです」って言う人がいたらすぐにお返しします(笑)。中のラベルにMatsuokaと書いてあって、三十年以上前に作られたものですからちょっとボディが波打ってるけど、良いギターです。これをずっとひとり家で弾いてました。
ジョアン・ジルベルトが弾くギターって、じつはすごく複雑な、凝ったことをしてるんです。ベースの音がルートじゃなく三度を弾いてたりする。たとえば「イパネマの娘」の冒頭、DメジャーからEセブンに行く時、ジョアンのギターはベース音F#→Fを弾いている。F#→F→Eとベースが半音ずつ降りていくのがきれいで、「なるほど、こうするとボサノヴァっぽくなるのか」と。コードにナインス、イレブンス、サーティーンスなどテンションを入れる方法とかも覚えていって。あと、ジョアンはあのズッチャ、ズチャッ……というリズムを、上の三本の弦を弾く時に右手でミュートすることで作り出している。それを体得するのに十年ぐらいかかりました。また、彼はコードから次のコードに移り変わる時の左手がめっちゃスムーズで速い。アイルトン・セナがありえへんスピードでコーナーに入ってくるみたいな。単に指が速いんじゃなくて、コントロールが利いている感じ。リズム感も恐ろしく精確で、僕が一番好きなアルバム『ジョアン』(91)は、弾き語りに後から管やパーカッションを録音したらしいんだけど、まったくそれを感じさせない。
たまに楽器の弾き方を根底から変えてしまう天才がいるけど、ジョアン・ジルベルトがそうだと思います。彼がギター奏法に起こした革命は、ジャコ・パストリアスがエレクトリック・ベースの弾き方を変えてしまったのに匹敵する。国安真奈さんが翻訳された『ボサノヴァの歴史』(ルイ・カストロ著)を読んでジョアンの情報を集めたりしながら、聴ける音源はとにかく全部聴きました。
僕がギターを手に取ったのが、自分の人生で本当に一人きりの時やったということもあると思うけど、一人で完結したかったんですね。もともとグレン・グールドとかセロニアス・モンクのソロのような、自分だけで完結している音楽が好きで。彼が発明した、ギター一本でベースもリズムもコードも弾いてそこに歌を乗せることで完結するメソッドのおかげで、すごく救われたところがある。ギターって音は小さいけど、自分だけでそこに閉じこもれるんですよね。そうやって部屋で一人ボソボソとやっていました。
日雇い仕事で貯めた金で買ったエレガット
そのうち、ブラジル音楽好きの知り合いが出来て、ミナミのブラジル料理店にハコで入る(=専属バンドになる)ようになりました。お店で他の楽器と一緒だと、ギターは音が小さくて埋もれてしまう。また、昔の仲間とボーカル、サックス、ギターだけで室内楽のように静かにボサノヴァっぽく、みたいな音楽をやりたくなってきた。でもそれまで使っていたギターに外付けピックアップを付けても音があまり良くない。それで、日雇い仕事で貯めたお金でヤイリのエレガットCE―1(写真3)を買いました。自分で金を出して初めて買ったギターがこれです。当時で二十五万円ぐらいだったかな。良いピックアップが付いているのか、現行のCE―1より音が良い気がします。これでバンドでも演奏出来るようになった。ローランドのAC―60を通すとちゃんとアコースティック感のある、めちゃ良い音が出ます。
僕は子供の頃から歌うのが好きで、下手だけど、ギターに合わせてやっぱり歌いたいと思って、ポルトガル語もちょっと勉強したんです。でも発音がなかなかネイティブのようにならないし、ライナーノーツを読んだりネットで歌詞の意味を調べたりしても、言葉の綾がわからない。ボサノヴァについて深く知れば知るほど、自分の中には流れていない「よそさまの音楽」だと実感するようになった。自分が演ってもしょせん借り物だと。言葉の意味がわからずに歌っていてもいいじゃないかと今なら思うけど、当時はそれではダメだと考えていたんです。
ジャンルにこだわらない音楽には昔からあまり興味がなくて、やっぱりジャンルが好きです。ジャンルの良いところは、民主的というか、メソッドが開放されていて、真似が出来ることです。誰も真似出来ないワン・アンド・オンリーなものはジャンルにならないじゃないですか。チャーリー・パーカーがほぼ一人でビバップを作ったように、ジョアン・ジルベルトは一人でボサノヴァを作った。そのおかげで、いま世界中で「ボサノヴァっぽい」音楽が演奏されている。それは世界に言語を一つ付け加えることに匹敵する偉大な業績だと思う。
ジョアン・ジルベルトをずっと聴くうちにそういうことを考えて、日本語の歌をボサノヴァっぽくアレンジして演奏するようになりました。音楽の才能がない自分でも出来ることは何か真剣に考えた時に、「イパネマ」を日本語の歌詞で歌うとかじゃなくて、日本語の歌を一回解体して再構築しなきゃいけないと。最近は上手い人たちをサポートメンバーに迎えて、たまに大阪や東京、沖縄のライブハウスで歌謡曲や演歌を弾き語りするライブをしています。六〇年、七〇年代の日本の懐メロは、ジャズのスタンダードとあまり変わらないⅠⅥⅡⅤ進行だったりして、ジョアンのメソッドに乗せやすい曲があるんです。
でも人と一緒にやるのって緊張するし、気を配らなければいけないことが多いし、周りを上手な人で固めて自分はごまかしているという感じもある。だから、部屋で遊んでる感じそのままみたいな、小さいハコで一人きりのライブもやりたいと考えています。本当に下手な歌なんですが。お客さんとの距離感やお店の雰囲気も含めて、空間がすごく大事。ジョアン・ジルベルトも、音楽で自分の空間を作ることに厳密さを求めた人やったと思う。雑音を気にして夏でもライブ会場の空調を切らせていたといいますよね。
僕は研究にしても文章を書くことにしても、ずっと個人でやってきたという感じがあって。沖縄も個人的な出会いやし、生活史ってそもそも個人ですからね。少しずつ書くようになった小説もそう。社会学者失格なのかもしれないけど、人間関係とかネットワークがあんまりわからない。組織が苦手で、大きな構造の中でもまれている個人に興味があります。
個人の自由を象徴する弦楽器
日雇い仕事の一日を終えた部屋で一人ジョアンを弾いていた頃に戻りたいような気持ちになって、ちゃんとしたガットギターが欲しいと何年か前から思っていました。それで昨年買ったのがこのホアン・エルナンデス(写真1)。東京で対談の仕事があったんですが、楽器屋が集まる御茶ノ水のホテルに泊まって、楽器屋めぐりをしました。仕事の前に行った「ギタープラネット」にこのギターがあって、店長さんのセールストークにも押されて、いったん大阪に帰ってからポチッとしてしまいました。ヤイリのエレガット以来、二十五年ぐらいぶりに買ったちゃんとしたギターです。すごく良く鳴るボディで、お店で試奏した時には明るすぎるぐらいの音だったんですが、いつも使っているラベラのブラックナイロン弦に張り替えたら思った通りの良い感じになりました。ラベラの黒弦って音が柔らかくて、キラキラというよりボーンと鳴るので、弾き語りにちょうど良いんです。
弦楽器って本当に良いなと思います。大阪の吹田のみんぱく(国立民族学博物館)にある弦楽器の展示コーナーが大好きなんですよ。シタールみたいな楽器が、シルクロードを渡る過程でちょっとずつ形を変え、琵琶とか三線になって日本まで来る。西へ行くとそれがギターになったりバイオリンになったりしていくわけですよね。爪で弾いたり弓で弾いたり、奏法もいろいろある。歌を支えてきたのは、やっぱり管楽器でもピアノでもなく、打楽器と弦楽器だと思うんです。旅に出る時に持って行ける小さい楽器。身軽で、シンプルで、誰でも弾けるし、すぐ作れる。沖縄で沖縄戦の後に米軍のパラシュートの紐を弦にして三線を作っていたように、耳さえあれば作れるんです。ただひとつ欠点は音が小さいことで、戦後の大衆音楽の中ではアンプで電気的に音量を増幅しないといけない。そのかわり、個人の人生に寄り添ってくれる楽器なんですね。
僕の書いてきたこと、やってきたことはそれぞれ分けて、混ぜないでいたつもりだけど、やっぱり好きなことはどこかで繋がっているかもしれません。たとえば猫とギターって、深いところで関係していると思う。自由で、個人的で、気がつくと傍にいる。どこか寂しいものでもある。僕にとってギターは、個人の自由とか、人生を象徴しているという気がします。
撮影:石川啓次
初出:「文學界」2023年4月号
■ プロフィール
岸政彦(きし・まさひこ)
作家・社会学者・立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。67年生まれ。編著『生活史論集』(ナカニシヤ出版)。
文學界(2023年4月号)目次
【創作】
松浦寿輝「谷中」(新連載)
長いパリ暮らしを経て、台東区谷中に住むことになった画家の香坂。入り組んだ路地で彼は何と出会うのか
上田岳弘「K+ICO」
SNSで収益を上げるICOは、かつて自分を救ってくれたウーバー配達員Kを探していた。二人は再会できるのか。ついに連作完結
小佐野彈「サブロク」
巨大な雪壁に向かって突き進む彼は、誰よりもかっこよかったーー著者の新境地”フリースキー”小説
磯﨑憲一郎「日本蒙昧前史 第二部」
美男子のテレビ俳優は、付き合っていた舞台女優から映画女優を紹介され、交際することに。縦横無尽に描かれる魅惑と迷妄の昭和史
【特集】作家とギター
「6本の狂ったハガネの振動」はなぜ私たちの心を震わせるのか。作家6人が楽器との関係を語り、小説家と音楽家がギターをめぐるエッセイを綴る
〈インタビュー〉平野啓一郎「「上手い」のはスゴイこと」/岸政彦「ギターは個人に寄り添ってくれる、どこか寂しいもの」(*本記事)/高橋弘希「音楽は趣味ではできない」/佐藤友哉「恥ずかしいからこそ、やれること」/北村匡平「演奏と執筆は繋がっている」/磯﨑憲一郎「ウィルスが甦ったデトロイトの夜」
〈エッセイ〉海猫沢めろん「ギター・バンド・小説」/高田漣「アンドロイドはみ空の夢を見た〜32/42/52/62/72/82」
【批評】
安藤礼二「哲学の始源――ジル・ドゥルーズ論(前編)」
柳楽馨「“your true colors shining through”――川上未映子『黄色い家』を読む」
【鼎談】下西風澄×山本貴光×吉川浩満「心はどこから来て、どこへ行くのか」
【リレーエッセイ「私の身体を生きる」】山下紘加「肉体の尊厳」
第128回文學界新人賞中間発表
第53回九州芸術祭文学賞発表【発表と選評】五木寛之・村田喜代子・小野正嗣
【文學界図書室】松浦寿輝『香港陥落』(池田雄一)/グレゴリー・ケズナジャット『開墾地』(いしいしんじ)
【強力連載陣】砂川文次/円城塔/金原ひとみ/綿矢りさ/西村紗知/奈倉有里/王谷晶/辻田真佐憲/藤原麻里菜/平民金子/高橋弘希/松浦寿輝/犬山紙子/柴田聡子/河野真太郎/住本麻子
表紙画=柳智之「深沢七郎」