女性将校を詠んだ句
五木 こういう言い方は文壇ジャーナリズム的で気が引けるんですが、村山さんには瀬戸内寂聴さんの選んだ方向とどこか重なるところがあるような気もするんだけど。
村山 ああ、わかります。瀬戸内さんのお書きになるものはとにかく広くて、私が興味を惹かれる歴史上の人物、伊藤野枝と大杉栄ももちろんですけれど、金子文子と朴烈、樋口一葉とか、「小説の種子がここにある」と思って手を伸ばそうとすると、必ず先に瀬戸内さんが手がけてらっしゃる。
五木 貪欲な方だったしね。とにかく好奇心が並外れて旺盛な人で、若い頃、ホテルのラウンジでコーヒーを飲みながら、「ねえねえ、これ見て」って沢田研二のブロマイドを出して見せられた。
村山 ミーハーでらっしゃる(笑)。
五木 ものすごい追っかけだったんです。「とにかく素敵なのよ」って、少女のようにニコニコして。いまで言う「推し」ですね。
村山 まさしく。美しい殿方が大好きで、好奇心の塊でいらしたから。
五木 そういう一面もあれば、瀬戸内さんには仏教の世界に深く没入していく一徹さもある。この彼女の幅の広さというところに、僕はひそかに共感し、尊敬するものがあるんだけれど、村山さんに共通するように感じるのは、瀬戸内さんの狭いところを一筋押していく面というよりも、幅の広さのほうです。
村山 五木さんが吉川英治文学賞の選評で「全方位的作家」と書いて下さって、何より嬉しかったです。自分の道をきっちり「ここ」と定められないことにいささかのコンプレックスを抱いていた私にとって、「全方位」と肯定していただけることも、瀬戸内さんの幅の広さと重なると言っていただけることも、ありがたい……。そういえば、渡辺淳一さんからは、「あなたは出家しないで書き続けて」と言われたことが(笑)。
五木 村山さんに出家されると困る(笑)。
村山 「現世で書いてね」と言って下さいました。私は俗な興味がありすぎるから出家なんて思いもよらないことですけど、若い頃と比べると、体力は確実に衰えていて、そのぶん地に足の着いた状態で、もっと大きなものへ目を向けて取っ組み合おうという、覚悟と時間はできた気がするんです。
五木 シベリアについて書いた「訪れ」の中に、マリアというロシア人看護師が出てきますね。これを読んで改めて思ったのは、シベリア体験は日本人にとって悲劇なんだけれど、同時に喜劇でもあるということ。凄惨な話の中にバカバカしいユーモラスな話もたくさんあります。かつての「小説現代」編集長に、三木章さんというシベリア帰りの編集者がいらした。その三木さんから聞いた話でよく覚えているのが、当時のソ連軍には女性兵士がたくさんいた。女性の将校、重要なポストを担っている人たちにも女性が多くて、みんなえらく体格がよかったらしい。当時、極寒の地獄のような生活の中でも、日本人というのは面白いものでね。サークル活動として、俳句の会なんかもあったそうです。三木さんはその俳句の会にいて、ある時そこで選ばれた句が、「おっぱいが先に出てくる街の角」。
村山 アハハハ、おかしい(笑)。
五木 ソ連の女性将校が街角を曲がる時、バズーカみたいに突き出したおっぱいから先に出てくる光景を詠んでいる。
村山 すごい描写力(笑)。
五木 俳句というより川柳だろうと思うけれど、「訪れ」の中のマリアの話を読みながら、ふと、この句を思い出しました。
村山 父の手記にも「馬鈴薯だと思って大喜びで拾って帰ったら凍った馬糞で、溶けたら臭くて難儀した」とか、哀しくも笑える話がありますね。
五木 どんな凄惨な生活の中にも、滑稽なこともあれば、光のような瞬間もある。世の中というのは地獄も極楽も同じようなものだと思いますね。村山さんはこれからシベリアをテーマにきっと大きな物語を書くだろうという予感がある。シベリア抑留は、日本人が外国で体験した歴史的出来事の一つだし、お父さんからそれを引き継いでいることは作家としての財産だと思うな。
村山 そうですね、ほんとうに。
五木 一方であなたは、さっき話したようなエロスの世界、新たな愛の世界も追求していかれようとしている。それと関係あるかどうかわからないけれど、先日、坪田譲治文学賞の選考会がありましてね。受賞したのは『ぼくんちのねこのはなし』(いとうみく著、くもん出版)という、十六年飼った猫が病気をして亡くなっていく物語でした。家族じゅうでその猫をサポートし、やがて見送っていく過程が、人間の愛情の世界を超えるほどの濃密さで描かれていました。愛とかエロスというものは、もはや人間とか動物の境を超えている、この猫は人間の子ども以上に大事にされているじゃないかと思いましたね。
村山 動物との間の愛についてはまさに同感で、いま私が首にかけているのが、十七年と十か月生きた愛猫の遺骨を収めたペンダントなんです。『ある愛の寓話』のカバーにも、その愛猫の絵を、そのままの毛色で描いてもらって。
五木 そうですか、この表紙の猫が……。
村山 もみじという猫なんです。恋人が寝込んでも「私が代わってあげたい」なんて一度として思ったことないんですけど、この子の口の中にがんができてしまった時には幾度となくそう願いました。何回切除しても再発して、放っておくと顔の半分が生きたまま腐っていく、扁平上皮がんという病気で。当時は個人的な自業自得で財政的にとても苦しい時期だったんですが、もみじの治療には、新車が買えるくらいの……。
五木 お金を?
村山 どんなことをしても、苦しまず生きていてほしかったんです。ですから、いまだにこうやって骨だの毛だの、お守りとして持っているんですけれども。
五木 僕らはふだん人間を中心にものを考えているけれど、やっぱり動物、生き物というところから世界を捉えると、もしかして小さな細胞一つ一つでさえも、同じ生命として愛の対象になりうるのかもしれませんね。猫の物語を読みながら、そうしたことを感じられるのも、読み物の持つ力かもしれません。
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