- 2023.06.13
- 書評
茨の道をまっすぐに歩いていけ――完結篇に込められた作者のメッセージ
文:細谷 正充 (文芸評論家)
『舞風のごとく』(あさの あつこ)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
という展開を経て、本書『舞風のごとく』である。「オール讀物」二〇一九年十一月号から二〇年十二月号に連載。単行本は、二〇二一年十月に刊行された。物語は、小舞藩城下の五分の一から四分の一を焼いた、大火の場面から幕を開ける。
『火群のごとく』の一件の影響を受け、家族を失った千代(七緒の兄・生田清十郎の娘)は、叔母を頼り、尼寺の清照寺の世話になっていた。大火の罹災者を受け入れた清照寺で、独楽鼠のように働く千代。そこに若い武士がやってきた。食料を始めとする、必要な物資を用意するというこの武士こそ、今は樫井透馬に仕える新里正近(林弥)である。十四歳の千代から見れば、頼りになる大人だ。とはいえ大人の社会では、まだヒヨッコに過ぎない。それは透馬も同様だ。筆頭家老の後嗣ということで、執政会議の末席に連なるが、発言権はほとんどない。藩の指導者たちの動きの鈍さに怒りながら、自分の家の蔵を開け、独自に罹災者の救済を始める。その手足となっているのが、正近や、やはり透馬に仕える山坂半四郎(和次郎)なのである。そして被災地の視察などをしているうちに、正近たちは大火が付け火ではないかと疑うようになるのだった。
一方、死の寸前の罹災者から、大火が付け火だと聞いてしまった千代。これにより彼女は命を狙われる。千代の件や、『飛雲のごとく』で正近が知り合った女性の件から、やがて大火の醜悪な真相が浮かびあがるのだった。
兄の死の真相が重要な読みどころになっていた『火群のごとく』を見ても分かるように、「小舞藩」シリーズは、ミステリーのテイストが濃い。その中でも本書は、もっとも真相のインパクトが強いといえるだろう。終盤で立て続けに暴かれる真相。付け火の動機は、あまりにも卑小だが、切実なものである。詳細は省くが、シリーズものだからこそ、驚きは大きい。そして大人の道を歩む正近たちとの対比で、犯人の悲しみが際立つのである。
ただし本シリーズの最大の注目ポイントは、やはり正近の成長だ。兄の死を切っかけに、藩の権力抗争に巻き込まれながら、少年から大人となった正近。しかしまだ藩を動かすだけの力はない。一途な性格だが、身の近くに闇のある正近が、社会の汚さを理解しながら、自分たちはそれに染まらずに生きていこうとする。藩を変えるということは、政治にかかわるということであり、清らかに生きていくのはまさに茨の道だ。その道が本書で、鮮やかに示されているのである。
もちろん準主役の、透馬の存在も見逃せない。江戸で生れ、職人になろうと思いながらも、しかたなく筆頭家老の後嗣になった透馬。為政者としては有能だが、人として欠けたところのある父親を好きになれない彼は、正近や半四郎と共に、やはり茨の道を歩いていく。正近以上に複雑な性格の透馬だが、信頼できる仲間がいるからこそ、道を誤ることがないのだ。腐れ縁と友情をごちゃまぜにしたような、正近と透馬の関係も、シリーズの読みどころになっている。
さらに女性陣にも留意したい。清照寺には千代だけでなく、尼になった七緒もいる。前作で正近と知り合った女も、重要な役割を背負って登場する。男のドラマと並行して、女のドラマも書き込まれているのだ。それが互いに響き合い、ストーリーをより重厚なものにしているのである。
作者は本書で、被災地や罹災者の様子を、克明に描いている。読んでいて何度か、辛い気持ちになった。だが、目を逸らしたくはない。正近や透馬の成長に一喜一憂しながら、作者が物語に込めたメッセージを、真正面から受け止めたい。
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