匂いのある時代小説だ。
季節を感じ、風景が立ちのぼる時代小説だ。
あさのあつこが初めての時代小説『弥勒の月』(光文社文庫)を上梓したのは二〇〇六年だった。恐ろしいほどに痛切な、人の闇を描いた佳作である。その力は驚きとともに迎えられ、各所で高く評価された。が、当時は代表作『バッテリー』(角川文庫)のイメージが強く、児童文学作家のあさのあつこが時代小説を書いた、という受け止められ方だったのを覚えている。
それから約十年。
二〇一六年一月現在、あさのの時代小説は三つのシリーズと単発作品を合わせて二十冊を超えた。捕物帳、職業もの、青春ものと、そのジャンルも多岐にわたり、今を代表する時代小説の書き手に名をつらねている。堂々たる貫禄だ。
では、あさのあつこは児童文学作家から時代小説家へ転身したのか? 答えはもちろん否である。ヤングアダルト向けのものも、現代を舞台にした青春小説や恋愛小説も、引き続き精力的に発表しているのはご存知の通り。
ことここに至って読者もようやくわかってきた。この作家には、ジャンルなどないのだ。描きたいものを、描きたい人物を、最も描ける舞台に乗せて描いているだけなのだ。
才能ある少年を、周囲との関わりの中で描いた二作――『バッテリー』と『火群(ほむら)のごとく』(文春文庫)を比べてみればいい。かたや野球、かたや剣という、どちらも〈対決〉するものをモチーフにし(野球の投手対打者の対決は剣豪の対決に似ている)、支える家族の存在や親友とのバディものであるところまで共通しているにもかかわらず、後者が時代小説なのは、決められた枠の中で生きねばならないという背景が重要だったからだ。選択肢のない中での青春。それを描くために『火群のごとく』は時代小説になったのである。
もう一枝あれかし
発売日:2016年05月13日