誰が首謀者で、誰が隠蔽したのか? 日本史を転換させた謎だらけの大事件「平治の乱」とは何か。
平治の乱に秘められた完全犯罪
源頼朝の告白──天皇の完全犯罪
義朝の逆罪、是れ王命を恐るに依てなり。逆に依て其の身は亡ぶと雖も、彼の忠又た空しからず。
源頼朝は、こう語った。「父の義朝は忠義の心で、天皇の命令通り挙兵したが、天皇の裏切りで反逆扱いされ、殺された」と。二人きりの密室で、摂政の九条兼実は確かにそう聞いた。
建久元年(一一九〇)冬、京都で一つの完全犯罪が暴かれようとしていた。その犯罪は、日本の歴史上でそれなりに有名な、しかし小さな一つの戦争の中でなされた。平安時代の末、平治元年(一一五九)に勃発した“平治の乱”である。その真相はこれまで、誰にも気づかれなかった。今日まで犯罪の隠蔽は成功したのであり、“完全犯罪”と呼んでいい。
面白いことに、当時の国家権力と関係者の全員が、真相を隠蔽した。加害者側が、ではない。事件と無関係の者も、そして被害者さえもが、この犯罪を隠蔽した。
事件の三一年後、鎌倉幕府を樹立する総仕上げの中で、源頼朝がこの完全犯罪を暴きかけた。
治承四年(一一八〇)に挙兵してから、頼朝は苛烈な内乱を戦い抜き、木曾義仲や平家を滅ぼし、奥州藤原氏も一掃して最終勝者になった。朝廷を率いる後白河法皇は、内乱中に一度も顔を合わせずに提携してきた頼朝と、対面して友好関係を再確認するため、頼朝の上洛と会談を望んだ。頼朝は渋ったが、後白河の熱心な要望に根負けし、上洛することになった。
建久元年一一月九日、頼朝は後白河の御所で会談し、内裏で後鳥羽天皇に挨拶し、そのまま内裏で九条兼実と会談した。兼実は当時、摂政として廷臣を代表していた。
頼朝は兼実と面談し、それまで通りの協力関係を確認して、兼実を安心させた。それに続けて、今後の抱負を語った。「私は亡き父義朝の役割を引き継いで、朝廷の治安維持の総責任者として責務を果たすつもりです」と。朝廷にも兼実個人にも、心強い表明だった。
平治の乱を回顧した頼朝の証言とその違和感
兼実はこの会談を、日記『玉葉』に書き留めた。その記事は、頼朝の上洛中の政治動向を示す一級史料として、歴史学者によく知られている。私自身も、その史料価値を活用して論文を書いた。頼朝の表明は、朝廷と鎌倉幕府が手を携える新たな国家体制を、頼朝がどう自覚していたかを示す絶好の史料である、と私は論文で強調した。
しかし、何かがおかしかった。原文の文字数にしてたった二文字の言葉に、違和感がある。その時は気にしないことにしたが、後になって、ふと思い出した。文春新書で『「京都」の誕生──武士が造った戦乱の都』という本を出せる幸運に恵まれ、その続編に着手した時だ。
『「京都」の誕生』で私は、〈平安京と京都は違う。平安京は古代の思想の産物だが、京都はそれを打ち破って平安京を改変した、中世の思想の産物だ〉と指摘した。根拠は、後白河法皇の御所「法住寺殿」の来歴だった。法住寺殿は、平治の乱で滅んだ信西と藤原信頼の遺産を吸収して造られ、後白河と彼らの親密な関係が反映されていると強調した。すると、そこが担当編集氏の印象に残り、氏から「この部分を読んで、初めて平治の乱が理解できる気がしてきた」と賛辞を頂き、「この本が終わったら、平治の乱で一冊書きませんか」という提案を頂いた。
とはいえ、平治の乱の真相は今もって藪の中であり、決定版として信用できる学説がなかった。私自身にも、停滞を打破できる材料がなかった。しかし、ある日、私はふと先の違和感を思い出し、冒頭の頼朝の発言を記録した『玉葉』を精読してみた。すぐに一つの事実が明らかになった。頼朝の発言は間違いなく、平治の乱について述べている、と。
そして、違和感の正体に気づいた。常識と合わないのだ。頼朝が回顧した平治の乱は、学校のどの先生が語った内容とも、どの本で読んだ内容とも合わない。歴史学では普通、後世に過去を回顧した著作をあまり信用しない。頼朝の発言は、平治の乱から三一年も後のものだ。ならば信用できないか。そうではない。頼朝は一三歳の時、父義朝に従って平治の乱を戦った。どれほど時を経ても、乱の当事者だった以上、頼朝の証言には超一級の信憑性を認めてよい。
それにもかかわらず、彼の発言は、これまで平治の乱について語られたどの筋書きとも合わない。そもそも、乱の三一年後に頼朝が回顧して証言を残したことに、誰も気づかなかった。
生き残った証言者──天皇の完全犯罪発覚の危機
義朝が平治の乱で挙兵したのは利己的な反逆だった、と通説は異口同音にいう。しかし、頼朝の主張は正反対だ。父を落命させ、連坐した頼朝を二〇年も僻地に押し籠めた〈反逆者〉のレッテルは謀略で、天皇の犯罪を身代わりに押しつけられた無実の罪だ、というのだから。
天皇の犯罪。それは重大な告発だった。
その犯罪は、朝廷の全員が共犯となって隠蔽したはずだった。ところが、秘密を知る最後の一人、そして隠蔽の共犯者とならなかった頼朝が、朝廷の手が届かない場所で自立してしまった。頼朝は平家の襲撃を生き残り、競合勢力をすべて打ち破り、日本でただ一人の「武家(武士の統率者)」になった。力で頼朝を牽制できる者は、もはや日本に存在しない。そして、朝廷の政治的駆け引きでは頼朝を操れないことも、それまでの内乱の日々が証明していた。
朝廷は義朝の冤罪に連坐させて、二〇年も頼朝の自由を奪った。頼朝は完全犯罪の被害者であり、冤罪の被害者だ。恨んでいて当然だった。朝廷は、その頼朝を京都に招き寄せてしまった。冤罪で父の命と名誉を奪った、という朝廷の負い目は、頼朝にとって最高の切り札となるはずだ。しかも、天皇の犯罪という大スキャンダルであり、それを暴けば朝廷の現体制を崩壊させることも可能だ。逆にいえば、暴かない代わりに朝廷にどんな要求でもできる。その切り札を頼朝はいつ切り、どう使うのか。
頼朝は頼朝で、朝廷の外に独立した武家政権、すなわち“幕府”を史上初めて樹立する大仕事の総仕上げに入っていた。このカードをどう切るかで、幕府の朝廷に対する立ち位置が変わる。つまり、〈幕府とは何か〉の定義が変わる。政治家頼朝にとっても正念場だった。
どのような形にせよ、このカードを切った時、平治の乱は最終決着する。頼朝はそのカードをどう使い、何を勝ち取ったのか。それを語って初めて、平治の乱の結末を語ったことになる。
本書の構成と凡例
本書は源頼朝の証言を突破口に、平治の乱の真の主謀者・共犯者を炙り出し、彼らの動機を掘り下げて、〈平治の乱で本当は何が起こっていたか〉を解き明かしたい。そのためにはまず、事実レベルでいつ、誰が、何をしたのかを時系列的に再確認し、事件全体の骨格を掴んでおかねばならない。『平治物語』という軍記物があるが、信憑性が乏しいので頼れない。代わりに、『愚管抄』『百練抄』『今鏡』などの史書を精密に読解しつつ、ごくわずかな一次史料(日記や文書)で補強したい。その事実確認を“事実経過編”として、本書の冒頭に置いた。
その上で、真相と黒幕を解明する謎解きを“全容究明編”の前半として、本書の核心に据える。黒幕とその動機が明らかになれば、乱の細部の正しい解釈が可能となり、乱の全体像を描き直せる。その作業を“全容究明編”の後半で行う。
そして、乱がどう終わり、誰が真の勝者であり、後の歴史にどのような爪痕を残したかを、“最終決着編”の前半ではっきりさせたい。
平治の乱は、実は一つの対立抗争の通過点にすぎず、真の決着は乱後三一年の政治過程の末に現れる。“最終決着編”の後半でそこまで見届け、大局的観点から平治の乱を理解しよう。
決着は二段階ある。一つは、乱の主役級の多くが退場し、乱の元凶となった抗争が最終解決を見た段階。もう一つは、三一年の時を経て乱の真相が語られた、頼朝の上洛である。頼朝はその頃、鎌倉幕府創立の総仕上げとして、日本国を造り直して新たなステージに進める「天下草創」構想を推進していた。平治の乱は、実はその実現に欠かせない壮大な伏線であり、その伏線は頼朝の上洛と「征夷大将軍」就任で、綺麗に回収される。乱の本当の結末というべきその経緯を“最終決着編”の最後に述べ、本書を締めくくりたい。
なお、この頃にちょうど家名が成立し始める。私のように中世史寄りの研究者は、近衛基実・松殿基房・九条兼実・大炊御門経宗・葉室惟方などと、家名で呼ぶのを好む。そこで、古代史寄りの人が書いた本とは雰囲気が変わるが、家名がある人は家名で呼びたい(家名がない人は藤原・源・平などの姓で呼ぶ)。また、女性名の読みは確定できないことが多いが、『平安時代史事典』に拠って、正解だった可能性がある一つの読みで、振り仮名を施しておいた。
本書で多用する史書には、できるだけ古態をとどめる写本を用いたいので、『愚管抄』は『国史大系』に収める文明八年(一四七六)書写本を用い、『今鏡』は『今鏡本文及び総索引』(榊原邦彦ほか編、笠間書院、一九八四)に収める畠山本を用いた。
平治の乱は、ミステリーの題材として極上だ。これまで何人もの探偵(歴史学者)が平治の乱の解明に挑んだが、敗れた。事件を知る全員が痕跡を抹消・改竄して誤誘導するというトリックで、偽装物語を信じさせられたのだと、私は考えている。
しかし、私は偶然、抹消を逃れた証拠を発見した。自分の専門テーマではなかったが、今これを発表しないと、それらの証拠、特に頼朝の証言は今後何十年も気づかれないだろうと思い、本書を世に問うことにした。無事に事件を解決できたかどうか、読者諸賢の判断を請いたい。
なお、本書では証拠の信頼性が生命線になるので、取り上げる参考文献や事実の証拠となる史料の出典を、逐一本文の中に明記した(参考文献は[桃崎11]のように、発表年を西暦の下二桁で示した)。また、細かい時系列の話を理解しやすくするため、各編の冒頭に、関係する出来事の年譜(編によっては一日単位)をつけた。参考になれば幸いである。
<プロローグより>
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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