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頼朝は「朝廷・幕府体制」を創設した孤高を持する「1180年代内乱史」

頼朝は「朝廷・幕府体制」を創設した孤高を持する「1180年代内乱史」

文:三田 武繁 (東海大学文学部教授)

『新版 頼朝の時代』(河内 祥輔)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

『新版 頼朝の時代』(河内 祥輔)

 アガサ・クリスティーの作品に、“The Kidnapped Prime Minister”(クリスティー文庫版『ポアロ登場』早川書房、二〇〇四年、邦題は「首相誘拐事件」)という短編がある。主人公エルキュール・ポアロが、例によって「灰色の小さな脳細胞」を駆使して「フランス国内で発生した」英国首相誘拐事件を解決するのであるが、船酔いに耐えながらフランスに渡ったポアロは、助手役のヘイスティングズや、依頼者の下院議長、閣僚らの思い込みに惑わされることなく、また「現場」と思われた地域での物的証拠の収集・調査など一切せずに、港町ブローニュのホテルの一室で事件に関する依頼者の説明だけを一心不乱に分析し、それのみで事件の基本的な構図を解き明かすことに成功している。

 私事で恐縮だが、右の短編に接したのは本書の旧版(原題は『頼朝の時代─一一八〇年代内乱史─』)が刊行された一九九〇年の数年後のことであった。すでに十年近く河内祥輔氏のもとで学んでいたその時の私にとって、この短編のポアロは、(風貌や性格は全く異なるが)河内氏を彷彿させるものであった。

 対象そのものが、一方はフィクション、他方は現実、という決定的な違いがあり、それゆえエンターテインメントの一ジャンルであるミステリー小説の関係者からも、また、真理の探究を宗(むね)とする歴史学の研究者からもお叱りを受けることは必定であるが、名探偵も歴史学の研究者も、過去の出来事の真相を明らかにしようとする点では変わりはないように思う。さらにいえば、例外はあるものの、多くの場合、解明すべき事象を直接見聞していない、という共通点も両者にはある。ならば、河内氏に限らず、すべての研究者と右の短編のポアロとをダブらせてもよさそうなものであるが、私にとって、今なお、あのポアロと重なるのは河内氏だけなのである。

 その理由の一つは、徹頭徹尾、先入見を排し、虚心に史料を分析することによって歴史的事実の真相や意義を明らかにしようとする河内氏の研究姿勢にある。

 右に述べたように、いくら優秀な研究者であっても研究対象の事象を直接見聞することはほぼ不可能である。それゆえ、対象となる事象にかかわる言説や痕跡、モノに頼らざるをえないのであるが、言説にしろ痕跡やモノにしろ、対象となる事象そのものではない。学問の領域でいえば考古学が扱う痕跡やモノはひとまず措くとして、文献史学の研究者が主に扱う言説は、それを発信する主体の価値観や意図、先入見などに大きく制約され、事象とのズレが無視しえないほどに拡大しているものもある。本書が検討対象とする時代についていえば、軍記物の代表的な作品である『平家物語』がそれにあたる。こうした軍記物に対する河内氏の姿勢は厳しく、政治過程の分析の前提となる事実の確認において、「すべてを結果(事件)への必然的過程として描」き(河内氏『日本中世の朝廷・幕府体制』吉川弘文館、二〇〇七年、一一四頁)、時には「創作的叙述」(河内氏『保元の乱・平治の乱』吉川弘文館、二〇〇二年、四頁)すらおこなう軍記物に依拠することを誡(いまし)め、さらに、事実のディテールのみならず、事件全体の構図を考える際にも、「軍記物の作った枠組みから自由になること」(同上、二二五頁)の必要性を強調する。

文春文庫
新版 頼朝の時代
1180年代内乱史
河内祥輔

定価:1,650円(税込)発売日:2021年12月07日

電子書籍
新版 頼朝の時代
1180年代内乱史
河内祥輔

発売日:2021年12月07日

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